第50話:想像以上に悪い方向に進んでしまった
フィリアが生徒会に出られなくなってもなお、私は中等部生徒会の会議には参加し続けていた。
一度役目を引き受けた身であることと、ジュリアン王子直々のたっての依頼もあり、半ば義理を通す形で出席しているのだ。
そんな、フィリアのいない夏休みの最終日、会議の終わりのことだった。
「それでは、今日の議題は以上かな。――あ、そうだ、エリアス先生。この後、少し二人だけでお話しできませんか?」
「あ……はい、分かりました……」
この人の前に立つと、その深い瞳に吸い込まれそうになり、半ば自分の意志とは関係なしに承諾してしまう。
こちらの内面をすべて見透かされ、その上で彼の望む結論へと綺麗に誘導されてしまう感覚があるのだ。
「皆が退室しましたし、少し真面目な話をさせてください。まず、私から先に謝罪をしなければなりません。私の判断ミスによって、先生にも多大なご迷惑をおかけしている」
王子はいつになく真剣な面持ちで、深々と頭を下げた。
「待ってください、私に謝られることなど何も……。判断ミス、とは一体何のことでしょう」
次期国王が、一介の教師にすぎない私に頭を下げている。その事実に、私は激しく動揺した。
「魔法演舞。私が、あの大舞台への参加をフィリア嬢に依頼してしまったことです」
「頭を上げてください、王子。迷惑だなんて、そんなことは。フィリアが社会に才能を認められたことは、教師の立場としてはむしろ感謝しているくらいですよ」
「そう言ってもらえると有り難いのですが……問題はまさに、彼女の才能が社会に『認められすぎてしまった』ことにあるのです」
王子は静かに頭を上げ、椅子の背もたれに身体を預けた。
「実はエリアス先生……貴方は今夏の休暇中、ご実家に戻る際、危うく誘拐されかけていたのですよ」
「えぇっ!?」
私はまったく想像だにしていなかった事実に、思わず素の声を上げて驚いた。
「フィリア嬢とエリアス先生が極めて昵懇な間柄であることは、今や関係各所の公然の秘密です。先生という存在は、すでに諸外国の耳にも届いてしまっている」
「ああ……そういう、ことですか……」
目的は当然、フィリア嬢を牽制するための人質でしょう。私を狙った国外の不審者複数名が、帰省当日の駅構内で、憲兵によって秘密裏に捕縛されているという。
「私はともかく、もしかして、地方にいる私の家族にも危険が?」
「はい。ですが安心してください。ご家族にも国から手厚い護衛がついています」
ひとまず最悪の事態を免れたことに安堵しつつも、フィリアという少女が世界に与えてしまった影響力の巨大さに、重いため息が漏れた。
『私はこれからも、本当にフィリアを守ってあげられるのだろうか』
魔法演舞が終わった直後、私の部屋で感じたあの漠然とした不安が、これほどまでに具体的かつ最悪な現実の危機として襲いかかってくるとは思わなかった。
「この件で、私は父上から直々に大目玉を喰らいましてね。彼女の影響力を低く見積もってしまった、完全に私の責任です」
深々と頭を下げる王子に、私は本気で緊張し、同時に自らの平穏ボケした頭を激しく恥じた。
「……それを言ったら、最も近くにいた私こそが、誰よりも適切にフィリアの力を理解していなければならなかった立場です。その見通しの甘さを罰せられるべきだと言うのなら、それは私です……」
王子に告げた自分自身の言葉が、そのまま鋭いナイフとなって私の胸に深く突き刺さった。
自分がいかにフィリアという少女の『本質』を理解してあげられていなかったか。こんな国家規模の事態になって初めて、私はようやくその事実に気がついたのだ。
「とりあえずの安全措置として、エリアス先生には、この学園内にある男子教員寮に即座に移っていただきたい。その方が、国としても護衛が幾分か楽になります」
「分かりました。すぐに引っ越します」
「それから……」
ジュリアン王子が、さらに一段と冷徹で真剣な目つきになって言葉を紡いだ。
「これはすでに大神殿を通じてフィリア嬢の側にも伝えてありますが――二人の個人的な接触は、当分の間、全面禁止とします」
「……分かりました。今の状況を鑑みれば、それは当然の判断だと思います」
その言葉を聞いて、私は本当に、自分自身に対して激しい怒りを覚えていた。
私がもっとしっかりとフィリアを見て、本当の意味で理解してあげられていたら。
私との不適切な性的関係すら疑われただけでなく、私の家族にまで危害が及ぶ。
そんな風に彼女を世界に曝け出させてしまったのは、他でもない、私の無知と驕りだ。
何が「守ってあげなければ」だ。何が「私の自慢の一番弟子」だ。私は、あの子のことを何一つ分かってあげられていなかったじゃないか。
その激しい後悔と、過去の自分の思い上がりが、本当に、本当に悔しかった。
そんな私を観察していたジュリアン王子は、私の目をまっすぐに見つめ、今度はとても真摯で温かい声で語りかけてくれた。
「ただ、これだけは言わせてほしい。フィリア・レオンハルトをここまで育て上げたエリアス先生は、この学園に、そしてこの国にとって、間違いなく必要な人材だ」
その力強い言葉とまっすぐな目に引き込まれ、胸の中で荒れ狂っていた怒りが、不思議と勝手に鞘へ収まっていくような錯覚を覚えた。
「ありがとう……ございます……」
「エリアス先生には、我が学園でまだまだ生徒たちの底上げをご指導いただきたい。特に……来年、聖女見習いが、この学園の高等部へと転入してくるという話を聞いています」
その王子の言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に閃きが走った。
ここ最近、私はすっかり忘れていた。
この世界が、ただの学園でも、ただの魔法社会でもなく、前世の私がプレーした乙女ゲームの舞台でもあったということを。
――乙女ゲームの本編。そのシナリオにおける、私の『本当の役割』。
「先生には、フィリア嬢だけでなく、ぜひ、新しくやってくるその聖女のことも、立派に育て上げてほしい。私はそう思っています」
「……分かりました」
改めて思い返してみれば――私が転生したこの乙女ゲーム『聖女になりたいなんて誰が言った』の作中には、『フィリア・レオンハルト』なんていう名前のキャラクターは、最初から一切登場していなかったのだ。
なぜ、あれほどまでの才能を持った少女が、ゲーム本編の歴史では、どこにも存在していなかったのだろうか。
王子と別れ、静寂に包まれた校舎で準備室へ戻りながら、私は今さらながら、その決定的な違和感を消化できず、本当に不思議な気持ちでいっぱいだった。




