第4話:神聖学準備室に入り浸るようになってしまった
そこから私達は、飲み手のいなくなったお茶がたっぷり入ったティーポットを挟んで、事務的な話をした。生徒会には未練がないこと、私からいじめっ子たちへ話をしておくこと。それから、ちょっとした身の上話なども。
「で、改めて。学校で勉強はしたいけれど、いじめられたり人と話したりするのが苦手で、不登校気味になっていた……という理解でいいかな?」
「えっと……はい。概ね、その通り……です」
真面目な話を振ると、彼女の顔はまた曇ってしまう。
中等部一年生の優れた才能が、貴族社会のくだらないヒエラルキーやいじめで潰されていくのは、純粋にもったいないと感じた。学問を受ける権利は、前世では基本的な人権だ。この世界でも本来そうあるべきだと、記憶が「なんとかしてあげたい」と私を急かす。
「じゃあ、君さえよければだけど……次にいじめられたり、困ったことがあったりしたら、とりあえずここへ逃げておいで。少なくとも、いくらかは守ってあげることができると思う」
それを聞いた彼女は、目を丸くして喜びを露わにした。
「い、いいんですか! ま、また来ても?」
「ああ。ちゃんと一人で勉強するならここを使って構わないし、分からないことがあれば、私が忙しくない時限定で質問に答えることもできる」
「べ、勉強します! なので、こ、ここに、また来させてください……です!」
……ふと、少女と密室で二人きりになることが、本当に教育的に良いことなのかと不安が過る。
「えっと、もちろん……本当にいいのかい? 君に手を出すような真似はしないと誓うが、それでも男の教師と二人きりになるのが嫌ではないかな?」
自分でもキモいことを言っている自覚があり、つい早口になってしまった。
フィリアは「うーん」と私の周りをぐるりと目で追い、何かをボソボソと呟いた。
「うん……わかった。えっと、きっと先生なら大丈夫だろうって……」
「大丈夫だろう……ねぇ。私が言うのもなんだが、男をそう簡単に信用するものじゃないぞ」
「そう、ですね。上手く言えませんが……誰でもってわけじゃなくて。たぶん、エリアス先生だから……だと思います」
優秀なはずなのに、全く論理性のない支離滅裂な回答。やや不安を覚えつつも、この子相手なら私の方も理性的に何の問題もないだろうと高を括った。
「あ、あと……エリアス先生は……その……なんというか、とても私の好みの『におい』というか……えへへ、えへへへ……」
そう言った瞬間、少女の顔がだらしなく崩れ、やや不気味な笑みを浮かべた。
「に、におい!?」
私は思わず脇の下に鼻を近づけ、自分の体臭を嗅いでしまう。
「あ、えっと、そんな『臭い』とかじゃなくて! 優しくて少し甘い香りがあるのに、男の人っぽい『匂い』もして、そのバランスがものすごく絶妙というか、なんか良いなって……えっと……!」
やたらと早口にまくし立てたかと思うと、彼女は顔を真っ赤にしてしまった。
「……ご、ごめんなさい! 私、何を言って……っ。きょ、今日はこれで、し、失礼しますッ! あ、ありがとうございましたふぁ……!」
最後は盛大に噛みつつも、深々とお辞儀をしたのも束の間、物凄い勢いで部屋を去っていった。
――翌日。
私は朝のうちに中等部の教室へ足を運び、フィリアが生徒会に入らない旨を伝えた。いじめっ子たちは「当然のことだ」と鼻で笑い、早々に日常へ戻っていった。
安堵したのも束の間、次は初めての授業だ。何度か言葉に詰まりながらも、無事に2コマをこなした後の昼休み。
神聖学準備室に戻ると、既にフィリアが鍵のかかったドアの前に立っていた。
「あ、え、エリアス先生……。その、昨日はありがとうございました……さ、さっそく来ちゃい……ました」
不安そうに、怯えるようにこちらを見ている。きっと彼女も「本当に来て良かったんだろうか」と不安だったのだろう。
「うん、いらっしゃい」
フィリアの手には、小さな彼女には少し大きすぎる紙袋。テーブルに置くと、小さな手で丁寧に箱を取り出した。
「えっと……その、昨日、コップがなかったので……持ってきました。せ、先生の分も一応……」
箱を開けると、雄猫と雌猫が描かれたペアのマグカップが出てきた。
「も、も、もしよかったら、い、一緒にお、お茶を……」
もしこれが、数年後に入学してくるゲームヒロインのセレスティーナのような美少女相手なら、ドキッとしたことだろう。だがこの時の私が抱いた感情は、小学生のような少女に気を遣わせて私物を持ってこさせてしまった、という情けない罪悪感だけだった。
「え? あっ……ごめん。コップを買わせちゃったかな!? いくらだった? 払うよ」
するとフィリアもあたふたし始める。
「あ……だ、大丈夫です! このコップは実家から持ってきて使っていなかった……余り物なんです! だから……その……っ」
「でも、気を遣わせてしまったね。ちゃんと、お礼はするから」
そう言うと、フィリアは顔を赤くして俯きながら、ボソッと呟いた。
「えっと……じゃ、じゃあ。毎日のようにここに来ても、絶対に追い返したりしないでくださいね」
「あー、うん。わかった、約束するよ」
フィリアはぱぁっと笑顔になり、パタパタと流しの方へ走っていって、手際よくお湯を沸かし始めた。ペアカップにお茶を注ぐと、紙袋から小さなお弁当を取り出して黙々と食べ始め、食べ終わると本を取り出して読み耽る。私も昼食のパンと、彼女が淹れてくれたお茶を嗜みながら、午後からの授業の準備を開始した。
会話はほとんどない。とても静かだが、どこか居心地の良い、ゆったりとした時間。昼休憩の終わりを告げる予鈴が鳴り、本鈴がギリギリまで、フィリアは神聖学準備室にいた。そしてパタリと本を閉じると、慌てて自分の教室へと走り去っていった。
それ以来、フィリアは昼休みと放課後、神聖学準備室に入り浸るようになるのであった。




