第3話:ちょっとかわった子を保護してしまった
俯いたままの少女に手を差し出すと、小さくて白い手がちょこんと私の手を取った。少し冷たいその感触は、いじめっ子相手に緊張して汗ばんだ私の手には心地よかった。
『女の子の手を握ってしまった。というか……手汗、キモがられないだろうか……』
小学生にしか見えない少女相手にもドキドキしてしまう。ここが乙女ゲームの世界であろうと、自分自身は何も変わっていない「ヘタレ」なのだと痛感した。
少し顔を上げた少女の髪は、色素の薄い透き通った銀色だった。その隙間から覗く金色の瞳は、目元を真っ赤に腫らし、怯えるように私を見つめている。ほんの一瞬、その瞳に心を奪われる感覚を覚え、妙な恥ずかしさに視線を逸らしてしまった。
私が少し前を歩き、彼女は私の指先を軽く摘むようにして後ろをついてくる。その自信のなさを、せめていじめられていた彼女の前でだけは見せまいと痩せ我慢を貫いた。
高等部の校舎に入り、静まり返った「神聖学準備室」の少し重たいドアをくぐる。
ドアが閉じると、遠くから聞こえていた放課後の部活動の音――楽器の音色や掛け声が、意識の外へと遠ざかっていった。
「あー、座って。お茶でいいよね……えーっと、どこかな……」
赴任初日で、どこに何があるかもわからない。引き出しを手当たり次第に開け閉めし、ようやく茶葉とティーポット、湯沸かし用のポットを見つけた。慣れない場所で水を入れ、魔道具のコンロに火を灯す。それだけのことでも、今の私には物凄い重労働に感じられた。
椅子をソファ前のテーブルまで移動させ、一息つく。そして、不安そうにこちらを見つめる少女を前に、私の脳内は再びパニックに陥った。
『――連れてきたはいいが、何を喋ればいいんだ!? いきなり「生徒会は諦めなさい」なんて言えば、いじめていた連中と同じだ。慰めるか? 正論を語って、それでどうする……』
シミュレーションを何度繰り返しても、上手くいかない。ふと前を見ると、考え込む私を見て、少女がさらに不安を募らせていた。
『しまった、余計に怖がらせてしまった!』
誰もいない密室で、気難しそうな顔をして黙り込む大人の男と、少女が二人きり。もし悲鳴を上げて逃げ出されれば、私は「赴任初日にやらかした痴漢教師」として人生が終了する。何か喋って安心させないと……。
「えっと……その、勉強は……好き?」
少女は驚いたようにビクッと肩を揺らした後、恐る恐る口を開いた。
「あ……はい……勉強は……好きです……」
また下を向き、会話が止まりそうになる。
「えっと……では、学校は……好きかな?」
その問いに、彼女の表情は目に見えて暗くなった。
「学校は……あまり、好きじゃないです……」
脳細胞をフル回転させたその時、前世のSNSで見た「女性と話す時は問題を解決しようとするな。寄り添って共感しろ」という投稿を思い出した。
「あー、うん……わかるよ。人と話すのって疲れるし、怖いよね。先生も今日赴任してきたばかりなんだけど、他の先生と何を喋ればいいか分からなくて……この準備室で一人になれるって思った時、すごく安心しちゃったんだ。実はさっきも、いじめっ子たちを相手にどうすればいいか分からなくて、年甲斐もなく結構ビビってたんだよ」
自分の情けなさを洗いざらい白状すると、少女はキョトンとした目でこちらを見た。
「大人の人でも、そう……なんですね。学校の先生なんて、もっと自信に満ちていて、私なんかとは違う人たちなんだって思っていました……」
「大人になっても意外と変わらないものだよ。『怖い』っていう感情そのものは普通のことだと思う。……実は今も、君と何を喋ればいいか分からなくて、ちょっと緊張しているんだ」
すると、少女がクスクスと笑い出した。
「……変な先生ですね」
最初は無口で無表情な子かと思っていたが、意外と表情が豊かだ。その小動物のような笑顔に、私もいくらか安心する。
――ピーーーッ!
お湯が沸騰した合図が室内に響いた。
「そうだ、お湯を沸かしていたんだ!」
急いで火を消し、お湯をティーポットに注ぐ。
「えっと、コップは……あれ? ない!? どうしよう……」
肝心のコップが見当たらない。ドタバタと慌てる私を見て、少女はまたクスクスと肩を揺らしている。厳密には一つだけあるのだが……それは、数週間前に倒れた前任者が残した、枯れ果てた茶葉の入ったカップだ。
「あー……一応聞くけど、誰が最後に使ったか分からないこのコップ、使う……?」
少女はお腹を抱えて、必死に笑いを堪えている。
「遠慮しておきま……ふふっ、ご、ごめんなさい……っ。でも、なんだか……挙動不審な先生が、可愛くて……」
「挙動不審!? か、可愛い……?」
「はい……ふふふっ」
小学生に見える少女に大人としての尊厳を完膚なきまでに打ち砕かれ、なんとも釈然としない。だが、さっきまで泣いていた彼女を笑顔にできたことに、ひとまずは安堵した。
「はぁ……。えっと……失礼しました。改めまして、私はフィリア・レオンハルト……です。以後、お見知りおきください」
それが、後に「異次元の天才」としてゲームシナリオのすべてを書き換えるどころか、世界を揺るがす「戦略級の兵器」とも「女神」とも称される大聖女――フィリアとの出会いだった。




