第2話:いじめられている天才少女に出会ってしまった
ゲームのCGで見知った高等部のきらびやかな喧騒を離れ、私は中庭の向こう――ゲームでは描かれない中等部の校舎へと足を踏み入れた。
階段を上り、見覚えのない景色に奇妙な違和感を覚えながら、誰もいない一年生の教室が並ぶ廊下を歩く。
「――だから、辞退しろって言ってるの! ちゃんと答えなさいよ」
放課後の静まり返った廊下に、神経を逆撫でするような甲高い怒号が響いた。どこか湿り気を帯びた、どろりとした悪意。それが直感的にイジメであると、私は理解する。
声のする教室の入口に差し掛かると、よくあるイジメの光景が広がっていた。
まだ小学生と言われても違和感のないほど小柄な少女が、頭一つ分は大きな男女数名に囲まれている。
「田舎領主の娘で、ろくに授業にも来ずに、テストだけ受けて一位って……学園そのものを馬鹿にしているわよね」
「そんなお前みたいなのが、何で生徒会に……本当にムカつく」
「おい、返事をしろよ。石像のふりか?」
嘲笑が廊下の壁に反響する。
囲まれている少女は、俯いたまま微動だにしない。ただ、小さな肩がぷるぷると震えていた。
私の脳内の「攻略データベース」が検索結果を弾き出す。
この学園には『一学年の中間試験の成績一位の人間が生徒会の書記を務める』という伝統がある。ゲーム本編では、ヒロインが王子ルートや私のルートに入るための必須フラグだ。
なるほど、あの少女が中等部一年生の中間試験の『一位』か。
血筋がすべてを決定する貴族社会に、突如として現れた「田舎出身の成績優秀者」という異端者。名家の子女たちにとって、彼女の存在は自分たちのプライドを根底から破壊する、許しがたいものなのだろう。
本来なら、ここで介入するのは得策ではない。
私、エリアス・ヴァン・アリスの家系は、医療神聖学で成り上がった新興の男爵家に過ぎない。目の前で取り囲んでいるのは、見るからに上位貴族の生徒たちだ。関わらずに通り過ぎるのが最適解だと、エリアスの冷淡な記憶もそう告げている。
――だが、「イジメは放置するのも同罪」という、日本で口を酸っぱく言われてきた倫理観が重くのしかかり、私は歩みを変えた。
革靴の音をわざと大きく響かせながら、輪の中心へと歩み寄った。
生徒たちの視線が、一斉にこちらを向く。驚き、苛立ち、そして「大人」に対する僅かな畏怖。
「あー、えっと。いったん、こういうのはやめようか。これ以上は、ちょっと見過ごせないな」
「どちら様ですの?」
大人に対しても怖じけずに睨み返してくる。さぞ名家のご令嬢なのだろう。
「あー、えっと、私は、エリアス・ヴァン・アリス。新しく赴任した神聖学の講師だよ」
「アリス家? 聞いたことがございませんわね。先生には関係ないことです。お引取りくださいませ」
二十五歳にもなって、十二、三歳の中学生にビビっている自分が少し情けない。
「うん、関係ない。でもね、強い言葉を浴びせられて泣いている女の子を放っておくのも、大人としては見過ごせないよ。だから、この件、私が引き取っていいかな。君たちは、彼女が生徒会の書記になるべきではないので辞退しろと、そう言いたいんだよね」
「はい、その通りですわ。ですが、この娘が何一つ返事をしないので、こうやって」
「わかった。なら、いったんこの場は解散しよう。これ以上君たちが言い寄っても何も解決しない。非効率極まりない」
四人は渋々納得したような顔をした。
「では先生、明日、必ずこの田舎娘に生徒会を辞退させて、私達に報告に来てください」
名も告げずに去っていく彼女たち。『家格が下のお前が私たちのところに来るのが当たり前』とでも言いたげな上から目線の態度に、現代日本人の価値観が怒りを覚えつつも、こういう世界なのだとエリアスの人格がなだめた。
初日から面倒事に足を突っ込んでしまった――大きな後悔が襲うが、後の祭りである。
それより今は、下を向いて動かない小さな少女に、ろくに女性と会話したこともない私が、なんて声をかけるべきか。その解を用意できないことが、目下の課題であった。
足音が遠ざかった教室に、少女が涙をこらえ、鼻をすする音だけが響いていた。
「……まぁ、お茶でも飲みに行こうか」
『ロリコンのナンパ……だよなぁ、これじゃ』
心の中で猛烈にツッコミつつ、覚悟を決めた。
私は、ずっと俯いている少女の手を引いて、神聖学準備室へと足を伸ばした。




