表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

48/82

第47話:天才部長は居なくなってしまった

「私も見ました、お姉さまのあの七色の魔法!」

「エリアス先生が、お姉さまにああいう魔法を教えたのですか?」

「先生! どんなことをすれば、あんな凄まじい芸当ができるのでしょうか!?」


「あー……えっと……困ったなぁ……」

フィリアが大神殿に行くようになり、放課後にいなくなったため、私は中等部の『神聖学勉強会』に、指導教師として出席することになった。

案の定、講堂に入るなりフィリアを慕う後輩たちに取り囲まれ、私はどう説明すべきか頭を悩ませた。


「そうだね……とりあえず、フィリアがやっている『情報の圧縮』とは何なのか、そこから簡単に説明してみようか」

「本当ですか!?」

「皆様、エリアス先生が、フィリアお姉さまの魔法の真髄をご教授くださるそうです!」

その呼びかけに惹かれるように、講堂内の二十人以上の生徒の視線が、一斉に私へと集まった。


私は黒板にコップの絵を描き、一同に質問を投げかけた。

「リリィさん。このコップに水を入れてほしいと精霊にお願いする時、普段はどんな祈りを捧げますか?」

「えぇ……? 『お水を入れてください』と、心の中でお願いするくらいしか……」

「そうですね。改めて前提ですが、人間と精霊が『同じ感覚や言語』で共有できる事象は、命令が非常に伝わりやすい。水の加護を少しでも得ている人なら、コップに水を満たすこと自体は難しくありません」

生徒たちは、なるほど、とうんうん頷く。


「ですが今度は、皆さんが『精霊の側』になったと仮定してみてください。精霊であるニーナさんが、コップに水を『ちょうど半分まで』淹れる時、一体何を見て、判断しなければならないでしょうか」

「えぇ……? そんなこと、真面目に考えたこともありませんでした……。えーっと、まず少しずつ水を注いでいって、半分くらいの高さまで来たら、魔法を止める……でしょうか?」

「ありがとうございます。その動作を分解してみましょう。まず精霊は、コップの容積を目で計測する。徐々に注ぎながら、今どれだけ溜まったかを『常に監視』し、目標の半分に到達したと『判定』して、魔力を止める。間違いないですか?」

「はい。無意識のうちに、それだけの段階を踏んでいると思います」

「つまり、ただ『水を淹れる』だけの魔法でも、精霊の側からすれば、容積の計測、注ぐ勢いの制御、水位の常時監視、目標値との差分の判定……これだけの膨大な情報を処理しているわけです」

私は黒板に『計測、制御、監視、判定』と大きく書き並べた。生徒たちは驚いた顔で、一生懸命にノートへと書き写していく。


「対して――フィリアは、おそらく精霊にこんな抽象的なお願いの仕方をしていません。彼女の構築する術式は……」

私は黒板に、一つの数式を板書した。


水の量 = at (0 < t < 10)


「一秒間にどれだけ注ぐかという基準値が『a』、それを何秒間持続させるかが『t』です」

生徒たちのノートをめくる手がぴたりと止まり、講堂に少し困惑した空気が生まれた。

私はその数式の横に、原点を通る一本の直線のグラフを描いた。

「例えばaを『一秒に10ml』とすれば、ゼロ秒で0ml、一秒で10ml、十秒で100mlになりますね。ここまでで分からないところはあるかい?」

「あの、先生。横軸が時間で、縦軸がコップに溜まった水の量、という意味が少し難しくて……」

「あー、そうだね」

私はグラフの下に、時間ごとに水が増えていく簡単な絵を描き添えた。

「――つまり、容量200mlのコップなら、この数式の通りに十秒間作動させるだけで、精霊は何の調整もせず『ちょうど半分』まで水を溜められる。ここまでは分かってもらえたかな?」

「はい! なんだか、凄く分かったような気がします!」


「さて、改めてフィリアの魔法の仕組みを見てみましょう。彼女が発動時に精霊へ伝えるのは、先ほどの数式そのもの。精霊の側は、その指示通りに魔力を出力しさえすれば、コップの大きさも今の水位も気にする必要が一切なくなる。気にすべきは『注ぐ勢い』と『何秒間か』、ただそれだけです」

私は黒板の文字をチョークで繋いだ。


『計測、制御、監視、判定』 ➔ 『出力の勢い、作動時間(秒数)』


「こうして並べると、精霊が処理する情報が、もの凄く『簡素化』されているのが分かると思います。だから同じ水の魔法でも、精霊にかかる負荷が圧倒的に少ない。同じマナでも、信じられないほど大量の水を出力できる。……ただ、これは極限まで簡略化したモデルで、実際のフィリアはもっと遥かに複雑なことをやっている、とだけお伝えしておきます」

「へぇぇ……!」と、講堂のあちこちから感嘆の声が上がった。

「あの、では先生。その『数式』を、どうやって精霊に理解させているのですか?」

「いい質問だ。普通は『魔法陣』を記述して、この数式が『水の量と時間の関係』だと精霊に納得させる必要がある。だが、実戦でいちいち魔法陣を展開するくらいなら、普通に『水を淹れて』と祈った方が早い。それが従来の魔法学の現実だった。……しかし、なぜかフィリアの周りの精霊たちは、魔法陣の媒介なしで、直接この数式的指示を受け入れられるらしい。だから一瞬で膨大なマナの圧縮を行い、あの演舞のような魔法を無詠唱で放てるんだ」


「先生。では、私たちもその『圧縮の方法』を学べば、お姉さまみたいな魔法が使えるように?」

「正直に言って、それは分かりません。ただ、フィリアの魔法の本質に少しでも触れたいなら、私が『数学』と呼んでいる概念を学んでおいて損はないかな、とは思います」

「私、もっと知りたいです!」

「私も、その『数学』を勉強してみたいです……!」

私は予定を延長し、一次関数の基本的な性質をさらに板書していった。


――だが、その最中、私は自分自身が、フィリアという圧倒的な天才に「感覚を完全に麻痺させられていた」という事実に、今更ながら気がついた。

はっきり言って、これを中学生に本質から理解させるのは、教育水準の高い前世の日本でさえ容易ではなかったはずだ。

おそらく、この先にある波形の基礎――三角関数の概念や、等速円運動の一次元射影によって『波』が形成されるという物理モデルすら、一般的な生徒に理解してもらうのは困難を極めるだろう。

それなのにフィリアは、僅かな一次関数の説明だけでロジックの本質を見抜き、何段階もすっ飛ばして、自力で複数次元関数の概念へと到達してしまった。

波を説明するために前世の微分方程式を記述した時ですら、必死に、しかし確実に食らいついてきたのだ。


何となくだが、彼女は元々この世界を『数学的な構造』として感覚的に捉えていて、それを記すための最適な言語として、私から『数学』を手渡されたのではないだろうか。

だからこそ、あれほどまでに数式の中にのめり込んでいったのではないか。

これは常人にできることでは断じてない。あまりに突出した、孤独で特殊な才能だ。

同じ世界を見ているはずなのに、見えている『階層(レイヤー)』があまりにも違いすぎる。

彼女と周囲の社会との決定的な『ズレ』の正体を、私は今になって痛感していた。


フィリアが極端に他人を怖がっていたのも、ものの見え方が違いすぎて、人と人との曖昧な関係性を上手く構造化できず、まともに会話を成立させられなかったからかもしれない。

そして、そんな彼女が、なぜこれほど私にだけ心を開いてくれたのか。

その決定的なきっかけは……やはり、あの「準備室」で二人きり、同じ世界のレイヤーを共有して語り合った、『数学』の対話だったのかもしれない。


同時に、フィリアが私をここに近づけさせたくなかった理由も分かる気がした。

上手く説明できない自分を、私に見せたくなかったのだろう。

それに、私が来れば今日のように代わりに説明してしまい、他の生徒の気が私に向いてしまう。

それが許せなくて、自分で一生懸命説明しようと頑張った……そんなところなのかもしれない。


熱い視線を向ける生徒たちの中で、私はただ一人、そんな答え合わせに辿り着いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ