第45話:(マックスSide)国家の歯車としての役割
「まったく……上の連中も、人のことを何だと思っているんだ」
大きなため息と共に、少しの懐かしさと、それ以上の後ろめたい気持ちが胸を苛む。
大神殿に勤める主席研究員の一人、マクシミリアン・キャンベル。実態は、上層部と現場の板挟みにあう、体のいい中間管理職だ。
エリアス・ヴァン・アリス。二年ほど前、私がこの大神殿から解雇せねばならなかった、私の元部下だ。
真っ直ぐで頭は切れるが、ひどく不器用で、組織の中での研究そのものには向いていなかった男。
二年前の政変による人員整理で、私のチームも対象となり、その「最後の一個」を切り捨てるピースとして、私は彼を選ばざるを得なかった。
せめてもの償いとして、空席になった王立学校の神聖学講師の座に彼を斡旋した。言い訳に過ぎないが、彼の真っ直ぐな気質は泥臭い研究員より教師の方が向いていると、本気で思ったのも事実である。
手元の報告書に目を落とす。
先日の『魔法演舞』で起きた、中等部の学生とは到底思えない、七色に輝く強大な広域補助魔法。
一人で戦争の戦局を動かしうるその力は、今や国家全体の話題の中心だった。大神殿としてどう関わるか、上層部が王家や軍、議会とも裏で相当やり取りしたらしい。
結果、我がチームがその未知なる力の解析を行う――という辞令が下った。
「まあ、私の目に狂いはなかった、ということなのかな……」
かつて彼を切り捨てた後ろめたさを誤魔化すように、私は元部下の到着を待った。
しばらくして、規則正しいノックが聞こえた。
現れたエリアス君は、まだ青臭さは残るものの、以前より少し穏やかな顔つきになっていた。
「マックスさん、お久しぶりです」
「こちらこそ。今日はわざわざ足を運んでくれてありがとう」
握手を交わした彼の長身の後ろに、銀色の髪をした可愛らしい少女が、恥ずかしそうに隠れていた。
「こんにちは。初めまして、マクシミリアン・キャンベルです。君が、フィリア・レオンハルト君かな?」
腰をかがめて手を伸ばすと、彼女はすっとエリアス君の後ろへ完全に隠れてしまった。
「……よ、よろしく……おねがいします……です……」
「すみません、極度の人見知りでして……」
「大丈夫、それも報告書で聞いているよ。とりあえず二人とも座ってくれ」
席に着くなり、私は深々と頭を下げた。
「改めて、エリアス君。二年前の件は、本当にすまなかった」
この謝罪を先にしておかなければ決定的なわだかまりが残るという打算であり、同時に、偽りのない本心でもあった。
「頭を上げてください、マックスさん。当時、もし私があなたの立場であったなら、やはり私自身を真っ先に解雇していたと思います」
「それでも、前途有望な若者の人生を変えてしまったのは、私の不徳だよ」
「いえ、本当にお気になさらず。そのおかげで、私はこうして教師として、また貴方にお会いできたのですから。――もう、この話は終わりにしましょう。ぜひ、本題を。フィリアのことですよね」
「――つまりは、フィリア君の持つ魔法の解析や術式の手法に関して、我が研究チームに協力してほしい、というわけだ。条件はそこに書いてある。本人の承諾を得られたら、同じ書類をご実家にも正式に送るつもりだ」
私は協力要請書の素案を差し出した。
「放課後の送迎付き……研究協力が中等部の卒業要件にも認められる、か。その後のキャリアを考えても破格の待遇だし、フィリアに不利になることは書いてなさそうだけど……」
エリアス君は合理的に納得してくれているようだが、肝心のフィリア君の表情が芳しくない。
「……私……嫌です……。せめて、先生が一緒じゃないと、絶対にやりません」
「その、何がそんなに嫌なのかな?」
「……嫌なものは、嫌です……。そんな協力なんてしなくても、私は普通に学園を卒業できます」
ぷいとそっぽを向いてしまい、取り付く島もない。
エリアス君も優しく説得を試みたが、彼女の拒絶はぴくりとも変わらず、やがて一切喋らなくなってしまった。
神殿の幹部からは、何が何でも説得を成功させろ、さもなければ……と強く釘を刺されている。そもそもこれを拒否すれば、フィリア君自身の立場が悪くなる。
ここからは嫌われ役、汚れ仕事になると覚悟し、私は一呼吸置いて、声音のトーンをがらりと切り替えた。
「フィリア君、君の拒絶の気持ちは分かった。それから、先に謝っておくよ。――ここからは、綺麗な話ができなくなる」
私の顔つきの変化を察し、エリアス君の背筋が鋭く伸びる。
「回りくどいのは嫌いなので、直接聞かせてもらう。君とフィリア君は、教師と生徒の一線を越えた、男女の関係なのかい?」
「……なっ!? 何を――」
「関係のないプライベートな難癖だと思うかもしれないが、今の君たちにとっては極めて重要なことだ」
「そこは断固として否定します。私とフィリアは、どこまでも教師と生徒です。男女の関係など、天地に誓ってありません。ただ……やや彼女のプライベートに立ち入りすぎ、公私の境界が曖昧になっていたことは、完全に私の不徳の致すところです」
「フィリア君も、その認識で間違いないかな?」
「……はい……」
お前のような他人に何の関係があるのだと、怒りすら孕んだ鋭い瞳で、彼女は私を睨みつけていた。
「なぜ、こんな無礼な質問をあえてしたのか、説明しよう」
私は手元の報告書の一節を指で叩いた。
「報告書には、君たちが学園内外で非常に親密な、常軌を逸した距離感にあることが詳細に記載されている。そして――一昨日の魔法演舞が終わった放課後、君たち二人がエリアス君の自宅に入り、一晩を共に過ごしたという事実までもが、克明に記録されているのだよ。エリアス君、この意味が分かるかね?」
「……ッ!」
エリアス君は「やってしまった」という表情で、激しい後悔と共に頭を掻きむしった。
だが、真っ先に食って掛かってきたのは、やはりフィリア君の方だった。
「それの、何がダメだと言うのでしょうか!? 先生は、私には誠実でいてくれています!」
「では、社会の仕組みを説明しよう。フィリア君、君は今や、この国の最高関心事の一人なのだよ。一挙手一投足を常に監視される立場にある。それだけ君が演舞で放った魔法は、前代未聞のものだったからね」
「……」
「つまり、君がこの要請を拒否した場合、エリアス君は指導者失格として教師ではいられなくなり、君のそばから永久に引き離されることになる」
それを聞いた瞬間、フィリア君の瞳が絶望に揺れ始めた。
「なんでですか……! 先生は何一つ悪いことなんてしていない! 私が我儘を言って、無理やり泊めてもらったのに……どうして、先生が……」
「いや、フィリア。君は悪くないんだ。完全に、私の見通しが甘かった。私の落ち度だ」
「君たちが言う通り、エリアス君が手を出していないことは、その生真面目な性格を知る身として信じよう。だがね、世間や国はそうは見てくれない。中等部の少女を夜に自分の部屋へ招き入れた。それを分かっていてドアを開けたのは、紛れもなくエリアス君の落ち度であり、その社会的責任を取らねばならないのは、大人であるエリアス君の方なんだよ」
「見てもいないのに……どうして、そんな悪い風にばかり言うんですか……っ」
「心苦しいがね、エリアス君が今すぐ免職されず教師でいられているのは、他でもないフィリア君のおかげでもあるんだよ。君をこれほどの天才に育て上げた『指導保護者』としての利害を鑑みて、国や王家は、今のところこの一件を『黙認』してくれているに過ぎない」
「そ、そんなことない……! 先生は悪くない……です……。私に『帰りなさい』って、ちゃんと言ってくれて……」
自らの行動のせいで大好きな先生の首が絞まっていく事実に青ざめ、がたがたと震え出す少女を見て、私の心は本当に痛んだ。ただ、これも含めて、組織の歯車、国家の犬たる私の役割なのだろう。
「だからこそ、フィリア君。君がこの要請を断ってしまえば、エリアス君の立場は完全に――」
「マックスさん! その言い方はさすがに――」
「分かっているよ、エリアス君! 私は今、最低でひどい脅迫をしている。だがね、これは一国の重大事なんだ。現実の社会は冷徹に動いているんだよ! ――フィリア君、君が協力してくれなければ、国は君とエリアス君を、今よりも遥かに強固な力で引き剥がすことになる」
「……どうして……。わ、私……そんな……つもりじゃなくて……なんで、こんなことに……」
「だが、逆にだ。君が協力し、適切な『教師と生徒の距離』を保ってくれるのであれば、エリアス君はこれからも学校で先生で居続けられる。君を育てた立派な教師として、むしろ国から高く評価される立場になるんだ」
「マックスさん! もうそれ以上は頼むからやめてください! フィリア、私のことなんて気にしなくていい。自分のことだけを、自分の未来のことだけを考えて判断しなさい!」
エリアス君の悲痛な制止を受け、私は静かに口をつぐみ、フィリア君の決断を待った。
今にも壊れそうに震える少女に、心が痛まないわけがない。自分が正しいことをしているという自信など、微塵もなかった。
ただ、この冷酷な現実のリスクを誰かが今伝えておかなければ、彼女の我儘を聞き続けることは結果的に全員を破滅に導く。そう自分自身に言い聞かせるしかなかった。
「……先生……ごめんなさい……。わ、私……本当に……ごめんなさい……。私、もう……先生の部屋には……行きませんから……」
「……フィリア……」
「……あと……研究にも……ちゃんと協力、します……」
「ありがとう……。そして、本当に申し訳なかった」
私は二人の前に、再び深々と頭を下げた。
しくしくと、少女の小さな泣き声だけが静かに響く狭い執務室の中で、私はいつまでも頭を上げることができなかった。
「マックスさん……貴方は正しいです。大人の社会として、完全に正しい。……ですが、正しいことが本当によかったのかどうか、私には正直、分からなくなってきました……」
ぽつりと漏らしたエリアス君の言葉に、私は心の中で血を流しながら、静かに答えた。
「……君の言う通りだ、エリアス君……」




