第37話:叱られたくない女の子にお説教してしまった
フィリアが倒れた翌日の昼休憩。
いつものように、この部屋のもう一人の主がやって来た。
とことことコンロへ歩いていき、いつものようにポットでお湯を沸かし始める。
「ねえ……先生。あの……やっぱり、今日、部活に来るんですか?」
「行くよ。それより、頭の方はもう大丈夫なのかい?」
「だ、大丈夫です……うぅ……」
少し不満そうな声が聞こえてきた。
お弁当の準備をするフィリアの表情は、やはりどこか暗く、どことなく目を合わせてくれない。
ソファで食べ始めても、本当に元気がなさそうだった。
「ねえ、フィリア。本当に大丈夫かい? 元気がないようだけど」
「だ、大丈夫です……。でも、やっぱり、先生には部活、来てほしくないんです」
彼女が私を頑なに拒絶する理由。
だいたいこういうときのフィリアは、何か「失敗」を恐れていることが多い。
そして、その失敗した姿を私に見られることを、ひどく怖がっているのだ。
親に怒られたり、がっかりされたりするのが怖くて殻に閉じこもる――そんな子ども時代の自分自身の記憶が、ふと脳裏をよぎる。
実際、過去にも似たことがあった。
洗い物をしてくれているとき、うっかりお皿を一枚割ってしまったときだ。
皿洗いなんてむしろ私が甘えていることだし、責められる立場などないのに、フィリアは顔を真っ青にして全身を震わせ、「弁償しますから……!」とわんわん泣き喚いた。
他にも、音痴を気にして私の前で歌うのをもの凄く嫌がったり、やたらと完璧でありたがる。
薄々気づいてはいたが、フィリアは「部長としての自分」をうまくやれていると思っていないのだろう。
そして昨日、新入生の前で倒れるという最大の「失敗」をしてしまった。
そんな無様な自分を、私に見せたくなかった――そんなところだろう。
人は誰しも失敗するし、隠そうとするのも自然な心理だ。
とはいえ、過剰に失敗を怯えることは、彼女の成長にとってよくない。
私はマグカップを手に、ソファでお弁当を食べているフィリアのすぐ横へ腰を下ろした。
彼女は少し目を丸くしてこちらを見る。
「ねえ、フィリア……改めて伝えておくよ。私は昨日、本当に君を心配したんだ」
「その……ごめんなさい」
「でもね、だからといって、倒れて私に迷惑をかけたとか、ダメな自分を見せたなんて、自分を責めちゃダメだよ。部活のことで困っているなら、一人で抱え込まずに私に相談してほしいんだ。何か困っていることはないかい?」
フィリアはあわあわと視線を泳がせた後、ぼそぼそと言葉を紡いだ。
「……私のこと……嫌いにならないでくださいよ……」
「いつも言っていますが、こういうときに素直になってくれるフィリアの方が、私は好きですよ」
「……知らない新入生があんなにいっぱいいて、何を言っていいのか分からなくて……。ただでさえうまくできていないのに、あんなに知らない人がたくさん来たら……怖い、です……」
そう言うと、彼女の小さな身体ががくがくと震え出した。
「うん。話してくれてありがとう。とても嬉しいよ」
安心させてやると、強張っていた表情が少しだけ和らいだ。
「そういうときは、もっと早めに相談してほしいかな。困っているフィリアを、すぐに助けてあげられない方が、私は悲しいからね」
私がそう言った瞬間、フィリアの目から涙が溢れ、ぼろぼろと泣き出してしまった。
『しまった』
今の言葉は、『お前が相談しないせいで私を悲しませた』と、不必要な罪悪感を抱かせたかもしれない。
「ええと……別に君を責めているわけではないんだよ。フィリアの困っていることを、一緒に考えられた方が私は嬉しい、という意味なんだ」
彼女は鼻を啜りながらこちらを見つめた。
「今日は、私が少し問題の切り分けをさせてもらおうか。新入生に何をしてもらうかは、もう決まっている?」
ふるふると首を振る。
「うん、分かった。じゃあ、そこも含めて一緒にやり方を考えよう」
そこから、少しずつ具体的な話を詰めていった。
実技指導は頼りになる先輩たちに頼もう、新入生向けのカリキュラムを考える仕組みを作ろう、指示出しの役割は顧問の私から出す、と。
そんな役割分担を話すうちに、フィリアの表情に徐々にいつもの柔らかさが戻ってきた。
「……と、大体こんな具合だけど、問題ないかな?」
「……はい。わかりました。お願いします」
昼休憩はあと五分ほど。
「長いこと付き合わせて悪かったね。お弁当、急いで食べないと」
「いえ、大丈夫です……。先生こそ、時間は大丈夫ですか?」
「うん、午後一は授業がないから大丈夫だよ」
私は自席に戻り、少しぬるくなったコーヒーを一口含んだ。
「……ねえ、先生。でも、やっぱり私は、先生には部活に来てほしくないんですよ……」
「なんでだい?」
「前も言いましたけど、先生を他の人に取られるのは嫌です」
「そんなことを言い出したら、私は高等部の授業すらできなくなってしまうよ」
「それは授業ですから……。私が取られたくないのは、放課後の先生です」
唇を尖らせるフィリアに、私は苦笑するしかなかった。
気を紛らわせようと、少しからかってみる。
「でも、中等部より高等部の方が、すっかり成長した素敵なレディが多いと思うけど?」
フィリアははっとした後、「むぅー!」と怒った声を上げた。
「先生は、教え子に手を出すような人じゃありませんー!」
「そりゃそうだ」
二人の間で笑い声が弾むと、昼休みの終わりを告げる予鈴が響いた。
「あ、急いで食べないと……!」
小さな口を一生懸命に動かし、おかずをぱくぱくと頬張る姿が、なんだか少しリスみたいだ。
学業優秀で、高次元の数学で私を圧倒し、大人顔負けの神聖魔法を使いこなすものだから、つい私は誤解してしまう。
けれど、目の前で慌てて弁当を頬張るフィリアは、まだ中等部三年生の女の子なのだ。
できることと、できないことの差が極端に大きい。
だからこそ、その差で彼女自身が転んでしまわないように、少しだけ後ろから支えてやる。
少なくとも今の私には、それくらいのことしか思いつかなかった。
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