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第36話:突如事件が舞い込んできてしまった

フィリアが中等部三年生へと進学した春、入学式を終えて一週間。

入学式では、フィリアが生徒会役員として参加させられたことに、ぶつくさと文句を言っていた。

「ほぼ座っているだけなのに、そこにいる意味がわかりません」「本を読んでいたら、知らない先生と王子にこっぴどく叱られて嫌でした」など。

そういう子どもっぽさはフィリアらしいが、生徒会活動を通じて、少しずつ大人の女性になっていってほしいとも思った。


午後から雨が降りそうな放課後のこと。

フィリアの淹れてくれたコーヒーを飲みながら明日の授業準備をしていると、神聖学準備室の扉が突如として激しく叩かれ、焦った顔の女子生徒が飛び込んできた。

「エリアス先生、助けてください! フィリアお姉さまが……!」

『お姉さま?』と一瞬困惑したが、その切迫した表情にただ事ではないと察し、私は席から飛び上がった。

「フィリアが? 何があった!?」

「お姉さまが倒れて、頭を打って……!」

「……ッ!?」

その言葉に、私の血の気が一気に引いた。

急いで神聖学準備室を飛び出したが、廊下に出て初めて、自分がいかに動転していたかを思い知らされる。

「ええと……場所はどこだ!?」

呼びに来た生徒は、少し怯えたような、驚いたような表情で答えた。

「ち、中等部の、第一講堂です!」


それを聞くや否や、私は一目散に走り出した。

正確な場所も把握していなかったが、身体が勝手に動いていた。

走りながら、『場所を間違えたら、かえってタイムロスになるのでは』『生徒に案内してもらった方が確実だったか』と不安がよぎる。

それでも、私は足を止めることができなかった。


中等部の校舎に入ると、ざわざわとした声が聞こえてくる。

私はその声をめがけて階段を駆け上がった。

第一講堂の入り口付近には、人だかりができていた。

「どいてください!」

生徒たちをかき分けると、そこには仰向けに倒れて目を閉じているフィリアの姿があった。

周りでは女子生徒数名が拙い手つきで回復魔法をかけており、床には血の痕があったが、『ヒール』で傷口は塞がっているようだった。


「……フィリア! ……みんな、少しどいてくれ」

私は気道を確保し、小さな顔に口と鼻を近づけて息を確かめる。

頬に当たる、かすかな呼吸。上下する小さな胸。

最悪の事態は免れたと安堵する。

頭を打った箇所はヒールでほぼ塞がっていたが、白い肌と銀髪に赤黒い血痕がこびりついていた。

「……『ヒール』」

念のため傷口に回復魔法を重ね、精神を沈静化させる『エスナ』も重ねがけすると、呼吸がやや深くなった。


「すみません、誰か医務室から担架を持ってきてくれませんか!」

数名が即座に走っていく。

私は周囲に「一旦は大丈夫です。皆さん席に戻ってください」と告げ、必死にヒールをかけていた生徒の一人――以前「弟子にしてほしい」と頼んできたリリィを呼び止めた。

「リリィさん、一体何があったのですか?」

「あの……お姉さまが、新入生に向けての挨拶の最中に、突如倒れてしまわれて……」

「誰かに攻撃された予兆は?」

「い、いえ。本当に何もなく、突然ばたんと……」

推測するに、集まっていたのはざっと四十人。

その視線の圧力に耐えきれず、極度の緊張から過呼吸で気絶した――というところだろう。


担架が届き、私はフィリアを医務室へ運んでベッドに横たわらせた。

手伝ってくれた生徒を帰し、付き添ったリリィにもう少し詳しく尋ねる。

「部長挨拶で壇上に立たれた後、最初の一言二言を発せられて、その後、急に黙り込んで……突然ばたんと……」

「なるほどね……」

「お姉さまは、大丈夫でしょうか……」

「うん、大丈夫だと思うよ。私が付き添うからね。部活は来られる人だけで明日また同じ場所に集まるよう、みんなに伝えてもらえると助かる。私も明日は顔を出すから」

ふと、眠るフィリアから微かなマナの揺らぎを感じた。

リリィは丁寧に頭を下げ、医務室を出ていった。


足音が遠ざかると、私はベッドの少女へ視線を向けた。

「大丈夫かい? フィリア」

うっすらと目が開き、こちらをちらりと盗み見てくる。

「……大丈夫、です」

そう言うと、彼女はシーツを目元まで引き上げた。

「まだ頭が痛むとかは? 身体が痺れていたりは?」

「……ありません」

シーツの隙間から覗く瞳は、ひどく破滅的にしょげていた。

「よかった。本当に心配したけれど、無事そうで何よりだ」

「心配してくれるのは嬉しいですが……あとは自分一人でなんとかなります」

そう呟くと、フィリアはすっぽりとシーツの中に顔を隠してしまった。


雨音だけが静かに響く、静まり返った医務室。

「……あの……先生……ありがとうございました」

「いや。どういたしまして」

「……明日……その……部活に……来るんですか?」

「ああ、そう約束したからね」

すると、フィリアは私に背を向けて言った。

「……嫌です……先生は……来ないでください」

「どうしてだい?」

「先生に……この部活に、関わってほしく……ない……」

さらにシーツの中で丸まり、固くなってしまった。


私は、完全に拗ねて閉じこもってしまった愛弟子に何と声をかけていいものか、しばらく考えあぐねた。

「ねえ、フィリア。私はね、君が倒れたって聞いて、本当に心配だったんだよ。久しぶりに本気で走って、本当に怖かった。君が大きな怪我をしたんじゃないかって」

フィリアは、固く丸めていた背中の力を少しだけ緩めた。

「だからね、せめてこんなことがあった次の日くらい、君の側にいさせてくれないかな」

彼女はゆっくりと仰向けに戻り、シーツからちょこんと目だけを出した。

「先生はズルいです……そんなこと言われたら、私、断れません……」

その瞳は、困ったようでも嬉しそうでもしんどそうでもある、過去のどの表情とも少し違う、なんとも形容しがたい複雑な色を帯びていた。


「ねえ、先生。私、そろそろ準備室に戻りたいです。倒れて身体がしんどいので、先生がおんぶして連れて行ってください」

甘えるように、こちらを見つめてくる。

「わかったよ。ただし、ちゃんと認識阻害だけはしておいてね」

彼女はシーツから顔を出し、とても嬉しそうににっこりと微笑んだ。


私が背中を向けてしゃがむと、首筋に細い腕が絡みつく。

私はフィリアの細い太ももを抱え、しっかり背負って立ち上がった。

とても軽くて、腕への負担は驚くほど小さい。

本当に、泣き疲れた姪っ子を背負って家に帰るような、そんな不思議な感覚だった。


雨の日の、薄暗い階段。

こつこつと静かに響く足音。

首元に絡められた腕の感触と、耳元で聞こえるフィリアの小さな呼吸。

階段を上りきったとき、フィリアがぼそりと呟いた。

「先生って、こんな目線で生きているんですね……」

そう言って、また甘えるように、ぎゅっと私の背中にしがみついてきた。


顔を見ずとも、なんとなく分かる。

その表情はきっと、主人の膝の上で丸くなって眠る子犬のような、ちょっと幸せそうで、完全に気の抜けた笑顔なんだろうな。

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