第34話:(フィリアSide)夜の憂鬱と愛の形
「はぁ……」
先生の部屋からこっそりお借りしてきたシャツに顔を埋めると、小さなため息がちょっと漏れてしまったのです。
というのも、最近の私は少しもやもやしています。先生と放課後に二人きりで過ごす時間が、目に見えて減り気味だからです。
中等部神聖学研究会でみんなに勉強を教える日は、ほんのちょっとしか先生に会うことができません。
一生懸命頑張ってお話ししても、本当にこれでよかったのかなって分からなくなって、毎回心臓がどきどきしてしまいます。みんなから色々と期待されても、自分にできる気がしなくて怖くて、何を言ってよいのか分からなくて、ただただ疲れ果ててしまう日がほとんどなのです。
でも、それが終わった後は、先生が私の頭をたくさん撫でてくれます。だから、それをご褒美にして私は頑張れているのですよ?
先生に「これは出ておいたほうがいい」と言われた生徒会の会合も、結構な長さなので本当はとっても嫌なのです。
よりにもよって毎週火曜日――本当なら、二人で数学の議論をしていた大切な日に、そんな予定を入れなくたっていいじゃないですか、と思ってしまいます。
まあ、会議中も先生の真横にはいられますけれど、周りに人が多すぎて、あまり先生のことを近くに感じることができません。
正直、会議の内容は何を言っているのか理解できないことも多いですし、生徒会の人たちの目がちょっと怖いです。
でも、頑張って先生が何を言っているかだけは聞き漏らさないようにして、終わった後に先生へいっぱい質問すると、先生は嬉しそうに褒めてくれます。そこだけは、素直に嬉しいです。
だけど……それでも、二人きりで数学の議論をしている方が、何倍も、何百倍も楽しいのに。
私はベッドの上にごろんと寝転ぶと、慣れた手つきで術式を展開します。
――私の網膜に、先生の部屋のリアルタイム情報を直接投射する、秘密の魔法です。
「あー、また、不健康そうなもの食べてる……。お野菜、全然食べてないです。むー」
画面の向こう、自分の部屋でくつろぐ先生の姿を見ながら、私は精霊達と明日のお弁当のメニューについて議論を始めます。もちろん、先生の偏った好みなんかもある程度は反映させる必要があり、毎日だいたい二十分くらい、精霊達と喧々諤々の激しい言い争いになることも珍しくありません。
「やはり、温野菜を中心に、少し胃腸に優しい系統にするべきでしょうか……」
このメニュー議論のベースとなる、厳密な統計データはすでに存在しているのですよ? ここ数か月分の先生の行動パターンを、私は精霊達と協力してすべてデータ化してあるのです。
食べたもの、寝る時間、起きる時間、睡眠時の呼吸数、平均体温、部屋の湿度や温度。それに……その、あまり口には出せないようなこと、とかも……。
私が先生を「すべて感じていたい」という欲に囚われているのは否定しませんし、少し後ろめたさはありますけれど、それでも先生に健康で、それでいて快適に過ごしてもらうためには、どれも絶対に重要な情報なのです。
どんなお弁当を作ってあげれば喜んでくれるのかな。どのくらいの量を入れてあげるのが最適かな。
いつ部屋にお邪魔したら、先生に無理な負担をかけずに一緒にいられるかな。
お邪魔したときに、何を料理して持っていったり、作ってあげるのがいいかな。
こってりしたものを食べた日の翌日には、さっぱりしたものを。
お肉が続いていたら、お魚を。
少し体調が悪そうであれば、精のつくものを。
洗濯物が溜まっていそうなら、私が洗濯をしに行ってあげないといけません。
コーヒー豆が切れそうなら、あらかじめ買って持っていってあげたり。
洗い物が溜まっていてお皿がなさそうなら、夜の分のお弁当まで作ってあげたり。
「お弁当箱を洗って返してくださいね」と言えば、先生はその夜に溜まった食器を洗ってくれることが多いです。
睡眠不足が続いているようなら、あまり無茶をしないように、ソファでお昼寝をしてもらえるようにこっそり誘導したり……。
ほんのちょっとした、些細なこと。
だけど、大好きな先生のために一生懸命に考えて、何かができるというのは、私にとっては世界で一番楽しくて、何よりも幸せなことなのです。
実はここ数日、先生が夜に寝苦しくないように、密かに部屋の温度や湿度を遠隔で自動調節する魔法の開発も行っていました。
監視そのものに比べたら魔法の理屈自体は簡単なのですが、部屋の大気そのものに直接干渉するため、それなりに強いマナの波動や発動時の光が生じてしまい、普通に展開すれば先生に一発でバレてしまいます。
だから、それをどうやって完璧に隠蔽し、知覚させないようにするかの補助術式が必要でした。
その状態を遠隔から、なおかつ単発の発動ではなく、安定して永久持続させるというのは、想像以上に難易度の高い魔導開発でした。
先生が部屋を留守にしている隙を見計らって、何度も実際の環境で実験を繰り返しましたが、術式の光を完全に相殺して視認不能にするまでに、二週間もかかってしまいました。
もっと簡単にできると思っていましたけれど、マナの相殺のための超高速フィードバック処理や、そのリアルタイム計算を、極小の情報量しか持たない魔法陣の中に組み込む作業は、そこそこ骨が折れました。
ちなみに、ここで生み出したフィードバックの術式を応用して、部屋の状態のみならず、先生の『発汗量』や『皮膚表面温度』をリアルタイムに検知し、室内温度を自動でフィードバック調節する機構を組み込んだのが、私のちょっとしたこだわりポイントです。
先生は、よく私に言います。
「もっと広い世界を見てほしい」
「私なんかに執着するな」って。
その言葉は、先生が本当に私のことを大切に考えて、思ってくれているからだということを、私はちゃんと知っています。
けれど――私にとってはエリアス先生、貴方こそが世界の中心で、私にとっての唯一の、一番大切な居場所なのです。
あの日、私をいじめから助けてくれて、それで、この人を信じてみようって決めたその日から、私の人生はとても彩り豊かになりました。
貴方がそこにいてくれるから、苦しいことも我慢できます。
いつか本当に、私は先生のもとから離れなければいけない日が来るのかもしれない。だからこそ、今のうちにやれることは全部やりたいです。先生のことを、もっともっと、いっぱい知りたい。
子どもっぽい理屈ですし、独りよがりな悪いことをしているとも思います。
けれど、それでも――貴方を感じられるこの幸せな時間を、私は、私のすべてを捧げて、貴方のために生きたいのです。
ちょっとした答え合わせ回、ターニングポイントになる回にしようと想いました。
引き続き感想などよろしくおねがいします。




