第31話:冬の朝、座敷わらしが入ってきてしまった
冬休み初日の、土曜日の朝。
腕が少し痺れだしたのを感じて、私は重い目を開けた。
ぼんやりとした視界の中、銀髪の頭が私の腕にすっぽりと乗っかっている。
「……おい……フィリア……」
私の胸元からちょこんとこちらを見上げる少女。
「おはようございます……エリアス先生」
そう言うと、彼女はまた幸せそうな顔をして目を閉じた。
私は無理やりフィリアの頭の下から腕を引き抜き、上半身を起こした。
支えを失って布団に頭を落としたフィリアは、少しむっとした表情になる。
「ケチ……もうちょっと腕枕してくれても……」
そう文句を言いながらも、彼女は布団から抜け出すと、鞄からサンドイッチの入ったバスケットを取り出した。
「朝ごはんに、サンドイッチ作ってきました。今、コーヒーも淹れますね」
朝にめっぽう弱い私は、的確なツッコミを入れることもできず、「んー……」とまぶたを擦る。
フィリアはてきぱきとシンクへ向かい、勝手知ったる我が家のように、コンロでお湯を沸かし始めた。
寝起きでトイレに行きたいところだが、下半身に朝特有の生理現象を感じ……生徒の目の前で立ち上がるわけにはいかないという自尊心から、私は布団をかぶったまま、それが静まるのをじっと待つしかなかった。
「で、なんでいるの?」
ようやく、この状況に対して的確な一言を絞り出す。
「駄目ですよ、先生。鍵を開けっ放しで寝るなんて。不用心です」
「こんな男の一人暮らしに泥棒なんて来ないだろ……。来ても座敷わらしくらいだ……」
「ざしき……? なんですかそれ?」
『そうか……前世の日本のお化けだったな』
「いや、なんでもない……」
ようやく落ち着いた私は立ち上がり、トイレで用を足した。
ギルバートはフィリアを「女神か」と崇めていたが、私の部屋をとことこ動き回るその姿は、やはり『座敷わらし』という言葉がぴったりだと思った。
まあ、朝からフィリア手作りのサンドイッチが食べられて、何もせずにコーヒーが出てくることを思えば、「幸せを運んでくる」と言えなくもない。
しかし、ギルバートに「公私混同はよくない」と厳しく指摘されて一か月も経たないうちにこれかと思うと、頭を抱えたくなる。
「あのなぁ……フィリア。朝っぱらから独身教師の部屋に上がり込む生徒って……」
私の説教を無視するように、フィリアは朝食の準備を続けながら答えた。
「いいじゃないですか。私は、いつかは先生のもとから巣立っていってしまうかもしれない。先生に会えなくなるかもしれない。いつまでも先生と一緒とは限らない……」
ふと、フィリアの手が止まり、その小さな背中が少し震えたような気がした。
「……だから、やれるうちに、やりたいことをするって決めたんです」
彼女が振り返り、たまに見せる困ったような笑顔を見せると、またすぐにてきぱきと支度に戻っていった。
私はその笑顔に何と答えてよいかわからず、胸のもやもやを吐き出すこともできず、口をつぐんでソファに座った。
そもそも、朝の気だるい時間帯はろくに頭も回らない。
考えるのをやめて、私はフィリアが淹れてくれるコーヒーを待つことにした。
「できましたよー」
フィリアはマグカップにコーヒーを注ぐ。
普段は洗わずに使い回す私のマグカップが、ついさっき洗われたばかりだと、わずかに残る水滴から分かった。
淹れたてのコーヒーを啜っていると、フィリアはソファに座る私の真横に、ぴったり密着して座ってきた。
「はい、先生。あーん」
フィリアはサンドイッチを私の口元へ運んできた。
まだ身体が覚醒しきっていない私は、まともに突っ込む気力も湧かず、差し出されたサンドイッチを一口齧った。
口の中に広がるたっぷりの卵。
マヨネーズとバターのバランスが絶妙で、とてもまろやかだ。
「先生、美味しいですか?」
「ああ……美味しいよ。卵たっぷりで、味もいい」
それを聞くと、まるで天国にでも来たかのような満面の笑みを浮かべる。
「えへへ。それじゃあもう一口、あーん」
「いいよ、自分で食べるから」
「えー、じゃあ、あと一口だけ! あーん」
仕方なくもう一口食べると、私の唇がフィリアの細くて小さな指に微かに触れた。
「ひゃっ……」
フィリアはくすぐったそうに手を胸元へ引っ込め、顔を真っ赤に染めた。
「……あー、ごめん。口が当たっちゃった」
「い、いえ……だ、大丈夫です……えへへへ」
だらしない笑みだが、どことなく幸せそうだった。
「で、今日は何しに来たの?」
「何って、年末の大掃除ですよ」
「私が出かけるとか、もしかしたら帰省していないとかは考えなかったの?」
「だって、先生昨日言ってましたよ。明日は特に予定ないって。それに、年末は帰省もしないって」
そういえば、そんな会話をしたな、と思い出す。
「今年は私も帰省しないので、冬休みもいっぱい先生と一緒にいられると思うと嬉しいです」
「年越しのカウントダウンとかも、私、先生と一緒にしたいです!」
「まだお酒も飲めない未成年が、深夜に外出してはいけません」
「えー、ちょっとくらいいいじゃないですかー」
「駄目ですって……」
フィリアの押しかけ女房的な振る舞いを、素直に嬉しいとは言えないし、健全な師弟関係とも言えない。
それに、「やれるうちに、やりたいことをする」というフィリアの言葉と、どこか困ったような笑顔が脳裏をよぎる。
私の胸に、どうしようもなく抜けない小さな棘のように、ちくちくとした痛みを伴う、奇妙な感覚だった。
それでも、『座敷わらし』が来てくれた朝が、私の枯れた日常を潤し、一日の始まりに鮮やかな彩りを添えてくれたことだけは間違いなかった。
なんでフィリアは先生が部屋に居て、まだ朝食を食べていないって知っていたかって?
流石天才魔法ハッカーだな、みたいなのが伝わるほっこり回を書いてみました。




