第30話:男の恋話をフィリアに聞かれてしまった
「率直にお聞きします。先生はフィリア嬢とどのようなご関係で、フィリア嬢のことをどう思っていらっしゃるのでしょうか」
「はい?」
私はその言葉を、瞬間的には理解できなかった。
私とフィリアの関係? 私がフィリアをどう思っているか?
ふとソファの方へ目をやると、『白鹿の魔女』はいつの間にか立て膝をつき、背もたれから目だけを出してこちらをまじまじと見つめていた。
彼の顔をまじまじと見て、かつての記憶が呼び起こされる。
彼もまた、乙女ゲーム『聖女になりたいなんて誰が言った』の攻略対象の一人。実直さが売りで、ジュリアン王子に次いで人気があったキャラクター――ギルバート・デッケルだ。
私は一呼吸置き、教師としての正論を述べる。
「それは教師と生徒ですよ。フィリアは私にとって、とても優秀で教えがいのある生徒です」
すると、ギルバートは私を鋭く睨み返し、語気を強めた。
「そんな建前は聞いていません。フィリア嬢の貴方を見る目は、明らかに特別なものです。その気持ちに対して、先生はどうお考えなのかと聞いています」
「ええと……そう……ですね……」
私は回答に詰まる。
私が「考えないようにしてきた」ど直球の核心を突かれているのだ。
当然、私もフィリアの好意にまったく気づいていないわけではない。
しかし、気づいたところで答えなど出るわけがない。
教師と生徒。その線引きを徹底することで、フィリアの熱を帯びた視線をやり過ごしてきた。
それが自分を、ひいてはフィリアをも守ることだと信じている。
そして、フィリア自身もそれを察してくれているからこそ、「私をどう思っているのか」などと直接聞いてこない。
今の私たちは、そんな絶妙なバランスの上で成り立つ師弟関係なのだ。
ソファのフィリアは、目元まで背もたれに隠し、おでこから上だけを出していた。
「そうですね……少し、考えさせてください……」
私は眉間に手を当て、考え込む。
指の隙間から見えるギルバートの目は、私をじっと射抜いて離さない。
私自身、フィリアを好きか?
……好きかもしれない。
でも、それが恋愛対象としての感情かと問われれば、間違いなく『はい』とは言えない。そもそも言ってはならない。
では、まったく気がないのか? それもわからない。
少なくとも、フィリアと過ごす時間が心地よいことは確かなのだ。
どの言葉も自分の中で腹落ちしない。だからこそ、率直に語る。
それが誠意への一番の答えに思えた。
「ええと……そこに関して、私は『考えない』ことにしています。ただ、教師と生徒、その線引きだけはしっかりとする。そのことだけを自らに課しています」
逃げを含んだ私の言葉に、ギルバートはさらに激しく食ってかかった。
「それは逃げの言葉で、誠実ではありません!」
強い声が神聖学準備室に響き渡る。
「もし本当にただの教師と生徒であるなら、貴方は王冠陣奪戦の最中、フィリア嬢が貴方のもとへ一人戻ることを許すべきではなかった! 団体行動をとるよう指導するのが、貴方の役目だったはずだ。でも、貴方はそれをしなかった。それは、適切な教師と生徒の関係ではない。改めて問います。フィリア嬢のことをどうお考えですか!」
あまりにも真っ向からの正論に、私は言葉を失う。
私は「教師と生徒」と線を引いていると口にしながら、実際にはフィリアをあまりにもプライベートな領域に招き入れすぎている。それは紛れもない事実だった。
ここで教師の権威を笠に着て、強制的に議論を切り上げることもできた。
しかし、これほどの熱量で率直に問うギルバートの真剣さに、私は正しく答えなくてはならない。
「そうですね……。まず前提として、私はフィリアを女性として見てはいけない立場であること。そして一切手を出していないし、出すつもりもない。そのことだけは先に断っておきます」
私は言葉を慎重に選んだ。下手なことを言えば、それこそフィリアのためにならない。
「その上で、私の脇の甘さは否定しません。公私の境界をどこに設定するのか、そこは私自身も、未だに答えが出せていないのです」
「その点は、ギルバート君、君の言う通りだ。一切の言い訳はできない。それでも……私が完全に『公の教師』として振る舞うことは、正直に言ってフィリアのためにならない。彼女の才能を殺すことになる、そう考えているんだ」
その言葉を聞いたギルバートは一度目を閉じ、軽く深呼吸をしてから、再び私を見据えて問いかけた。
「では、エリアス先生は、フィリア嬢がこのまま貴方に執着することを良しとするのでしょうか」
「どういうことだい? ……もう少し詳しく教えてほしい」
「フィリア嬢の才能は、百年に一度のものかもしれない。本来、王冠陣奪戦では、彼女はもっと他者と交流を深めるべきでした。それこそが学園のため、ひいては国のため、その才能を活かすきっかけとすべきだったのです。だからこそ、フィリア嬢が貴方に執着し、せっかくの機会を台無しにすることはあってはならない。私はお二人の関係は、あまり健全ではないと考えます」
私は、その言葉に一切の反論ができなかった。
まったくもって、彼の言う通りだ。
フィリアは、私のもとで燻っていていい才能ではない。
もっと広い世界で、多くの人に認められ、羽ばたいて、この世界をもっとよくしていくべきなのだ。
「そうですね……。ギルバート君、君の言うことは正しい。私もそう思う。フィリアには、私なんかに執着せず、もっと広い世界を見てもらいたい。心から、そう思――」
――ガタッ。
その小さな物音に、私とギルバートの視線が同時にソファへと向いた。
「……あれ……あれ……わ、わた……わたし……あ、れ……」
ソファの横には、色をなくした金色の瞳からぼろぼろと涙をこぼし、小さな肩を震わせているフィリアが立っていた。
「フィリア嬢!? いつからそこに!?」
フィリアは何も言わず、ギルバートと私の横をすり抜けると、神聖学準備室のドアを開けて外へ飛び出していってしまった。
「フィリア嬢!!」
ギルバートは即座に後を追うが、廊下に彼女の姿はなかった。
厳密には、無詠唱の認識阻害魔法で高度に姿を隠し、物凄いスピードで廊下を駆け抜けたのだが、普通の騎士であるギルバートにそれを視認することはできない。
「突然現れて、涙だけ見せて、また消えてしまうとは……。やはり、私などが触れてはいけない、美しき女神だったのか……」
ギルバートは本気で目を丸くし、今起きたことを奇跡のように語っていた。
私は深々とため息をつき、眉間に手を当てた。
彼を訂正する気力もなく、ただ、泣いてしまったフィリアのことばかりが頭をぐるぐると巡っていた。
私は何か「間違ったこと」を言ってしまったのだろうか? しかし、いくら考えても答えは出なかった。
「エリアス先生。若輩者の身でありながら、私の問いに真剣に答えていただいたこと、感謝いたします。そして、数々の非礼を申し上げたこと、大変失礼いたしました」
ギルバートは深々と頭を下げると、誰もいない廊下を小走りで去っていった。
私はそれから三十分ほど、フィリアの涙の意味を推し量ろうと、一人考え込んでいた。
ふと、攻略対象であるギルバートがフィリアに恋心を抱くという展開に、疑問が浮かんだ。
元のゲーム『聖女になりたいなんて誰が言った』で、聖女セレスティーナとギルバートの間に、こんなイベントは存在しなかったはずだ。
物語で語られることのなかった、ギルバートの「失恋の過去」だったのだろうか。
結局、フィリアの涙の理由も、何一つまともな仮説すら立てられなかった。
――翌日の昼休憩。
フィリアは、昨日など何事もなかったかのように神聖学準備室へやって来た。
いつものルーティン。部屋に入り、コンロのところで二人分のお茶の湯を沸かす。
「ええと……フィリア……あの、昨日は……その……」
私が恐る恐る声をかけると、彼女は私の分のお弁当を取り出しながら、振り返って言った。
「大丈夫ですよ……知っています……。先生は私のことを、一番に考えてくれていることを……」
そして、少し困ったように笑って付け加える。
「……そういうところも含めて、エリアス先生らしいです」
私は、それ以上語るのをやめた。
私への執着よりも、外の世界へ羽ばたいてほしい。
その私の思いが、ほんの少しでも彼女に伝わったのだと――そう安堵したかったからだ。
私はフィリアが出してくれたお弁当箱を開け、まだどこかひっかかるもやもやを胸の奥に残したまま、いつもの穏やかな昼休憩を楽しむことにした。




