第24話:(フィリアSide)夏休みの魔法開発ブートキャンプ
八月に入り、私は深い絶望に暮れていました。
学園の寮が閉鎖され、どうしても王都に、先生の傍にとどまることができなくなるのです。
これから丸三週間、先生と離れ離れになってしまうなんて、まさにこの世の終わりのようでした。
去年はどうやってこの絶望を耐え忍んでいたのか、自分自身でも不思議になってしまいます。先生のことは中等部の一年目からずっと大好きだったはずなのに、本当に不思議です。
共に過ごしたこの一年の積み重ねが、それほどまでに大きかったのでしょうか。今では、土日の二日間すら離れるのが耐えられないほど、私の心は先生色に染まっています。
ですが今回は、会えなくなる分、帰省の前日に先生のお部屋でしっかり「仕込み」をさせていただきました。お掃除や洗濯をしながら、あの濃密な時間を過ごせたのは大きかったです。
おかげさまで、先生が前日に着ていたであろう下着セット一式を、こっそり鞄に忍ばせることに成功しました。
誤解しないでほしいのですが、これは盗んだわけではありません。夏休みが終わったら、ちゃんとお洗濯をしてお返しします。
「下着なんてなくなったら、先生が不審に思うのでは?」と思われるかもしれません。
ふっふっふ、エリアス先生に限ってそれは絶対にありません。
なぜなら先生は、まったく同じ服や下着を何着も、それこそ三十セットくらいは持っているからです。
同じものを揃えるのは、決まったお店の決まった商品しか買わないから。ここまでは分かります。ですが、三十着前後もある理由は、初めて知ったとき本当に驚きました。
「土日にしかしない洗濯を、二週間分サボっても、二十一着以上あれば毎日新しい下着に替えられるから」
……生活力のなさを圧倒的な物量でカバーするという、実に先生らしい、とっても可愛い発想です。
冬休みのときは、使用済みタオルの匂いが途中で消えてしまい、深刻なエリアス成分不足に陥ってしまいました。ですが、しっかりと匂いのついた下着ならば、より濃密に先生を感じられます。
それに今回は、匂いの劣化を防ぐ魔法も精霊達と一緒に開発済み。どこにも死角はありません!
私の実家がある田舎は、王都から魔導列車と馬車を乗り継いで丸一日かかる距離にあります。
朝の六時に寮を出て、実家に到着するのが夜の十時を過ぎるほど。先生との物理的な距離があまりにも大きい、そんな辺鄙な場所です。
本当に何もなくて、ただただ家に籠もって本を読んだり、精霊達とおしゃべりしたり。そんな毎日を過ごすくらいしかやることがない、私にとっては少し退屈な時間です。
でも、今年の夏休みは違います。
先生の下着があるから、というのも理由の一つですが、この帰省期間を使って、私は「ある魔法」を完成させるという目標を立てていたのです。
そのための仕込みも万全です。
実はあの日、先生のお部屋のベッドの隅に、私にしか扱えないマナを込めた水晶入りの「クマのぬいぐるみ」を置いてきました。
「大人の男の部屋にクマのぬいぐるみって……」と先生は恥ずかしそうにしていましたけれど、一度置いてしまえばこちらの勝ちです。お洗濯すらまともにしない先生が、わざわざそれをどこかへ仕舞い込むなんてまめな真似、するはずがありません。
では、一体どんな魔法を開発するのか。
……そう、先生のお部屋の中を「遠隔監視」する魔法です。
仕組みはこうです。
まずは、仕込んできた水晶の座標を微精霊の網目空間上で的確に特定し、そこにこちらの魔法陣の効果を空間転移させます。そして、転移させた術式から微小なマナのパルスを放射。お部屋の中の環境に干渉させ、跳ね返ってきた成分の有無を周波数解析することで、先生の動きをデータとしてこちらに転送する、という試みです。
初歩的な実験は王都で成功していたのですが、果たしてこれほどの超長距離でうまくいくのでしょうか。
開発の一日目。
私たちは、さっそく最初の壁に突き当たりました。魔法陣を安定して空間転移させることができないのです。
私と精霊達が立てた仮説は、「微精霊の網目空間には常に確率的なゆらぎがあり、水晶の絶対座標が時々刻々と変わってしまうため、安定しないのではないか」というものでした。
常に補正をかけ、水晶の現在地とこちらの狙いの誤差をリアルタイムで同期させる、そんな高度な補助魔法の必要性を痛感しました。
そこから、開発の二日目から六日目までは、本当に辛い期間でした。
この間は、先生の情報がまったく入ってこなかったからです。
最初に、ランダムに抽出した三点の誤差情報から行列計算を用いて座標を特定する方法を試したのですが、この距離では計算が安定しませんでした。
最終的に、誤差が伝播していく性質を逆に利用して空間を同期させる手法を編み出し、超長距離でも少ない情報量で空間同期を成功させる補助魔法の開発に、丸三日を費やしました。
六日目の夜、ついに初めてパルスの放射に成功し、先生固有のものと思われる魔力信号をキャッチすることができました。でも、それが本当に先生のものなのか確信が持てず、その夜は不安で胸が苦しかったです。
翌朝、七日目の午前八時頃。その信号がふっと途絶えた――つまり、先生が外出したことを確認できた瞬間、私と精霊達はその成功に歓喜し、部屋の中でいっぱいの笑顔になりました。
精霊の小さな光の信号が灯ったり消えたりするたびに、遠く離れた先生に「行ってらっしゃい」や「おかえりなさい」が言える。それだけで、先生をすぐ身近に感じられて、胸が幸せで満たされます。
そこからは、小さな改良と試行錯誤の繰り返しでした。
開発の十二日目頃には、お部屋の中でのざっくりとした先生の位置だけでなく、その「姿勢」までもが予測できるようになってきました。
私の記憶を頼りに書き起こした先生のお部屋の縮尺図に対して、先生が今どこにいるかを精霊達にマッピングしてもらい、どんな体勢でいるのかを教えてもらう。そこまでの精度に達したのです。
ちょうど二週間が経った十四日目は、先生の動きのデータを、私の手元にある別のクマのぬいぐるみと同期させて遊んでいました。
ベッドの上で寝転がったり、机に向かったりする先生の動きに合わせて、手元のぬいぐるみがぴょこぴょこと動くのが愛らしくて、かなりの時間を精霊達と一緒に眺めて過ごしてしまいました。
ただ、これが今回の帰省で私たちが到達できた限界でした。
そこから王都に戻るまでの三日ほどは、開発が行き詰まってしまいました。
これ以上の密度を持った魔法陣の情報を、安定して転移先に維持することが困難だったからです。ゆらぐ微精霊のネットワークをどうやって安定させ、こちらの術式をあちらの環境に展開させるか。その基礎理論のようなものを、延々と精霊達と議論したまま、私の帰省は終わりを迎えました。
まだまだ改良の余地はたくさんあります。
先生から教わった数学を精霊達ともっと突き詰めて、一緒に扱えるマナの量や種類が増えれば、いつかもっと精度を高めたり、空間そのものを完全に再現したりすることだってできるかもしれません。
もっと突き詰めれば、先生をずーっと、もっともっと身近に感じられるような、そんな魔法だって作れそう。
帰省中、先生に会えない時間はとても寂しかったけれど……私にそんな魔法の可能性を感じさせてくれる、とても、とても楽しい日々でした。




