白無垢③
夜。
タワーマンション最上階のリビングには、月明かりとシャンデリアの柔らかな光が重なっている。
エレベーターの音がして、玄関の扉が開いた。
「ただいま」
夫の低い声。
すぐに佐川が整った身なりで姿を現し、深く頭を下げる。
「お帰りなさいませ、旦那様、奥様」
その後ろから、ぱたぱたと小さな足音。
「パパー!ママー!」
結が満面の笑みで駆け寄る。
妻は白無垢から着替え、落ち着いたワインレッドのドレス姿。少しだけ名残を感じさせる上品な髪型のままだ。
夫は結を軽く抱き上げる。
「ただいま、結」
「どこいってたのー?!」
興味津々の大きな瞳。
夫は妻を一瞬見る。妻が少しだけ照れたように微笑む。
「ママとデートだ」
「デート?!」
結が目を輝かせる。
「いいなー!なにしたの?」
「写真を撮りに行った」
「しゃしん?」
妻が優しく付け加える。
「パパとママ、ちゃんとおめかししてね」
「えー!プリンセスみたい?」
夫が口元を緩める。
「プリンセスより綺麗だった」
「あなた」
妻が小声でたしなめるが、頬はほんのり赤い。
佐川が静かに微笑みながら言う。
「本日はよく晴れておりましたね。撮影日和でございました」
夫が頷く。
「ああ。空も綺麗だった」
妻は佐川を見る。
「結はいい子にしていた?」
「はい。公園で少し遊び、その後はお絵描きを。奥様と旦那様の絵も描いておりましたよ」
「ほんと?!」
結が椅子に座りながら得意げに言う。
「さがわとブランコしたの!あとね、ママのドレスかいたの!」
夫が席につき、腕を組む。
「ほう。俺は?」
「スーツ!」
「紋付じゃないのか」
「もんつき?」
妻が笑う。
「今日は和装だったのよ」
「わそうってなに?」
「きものだ」
「えー!みたい!」
結が身を乗り出す。
妻が優しく言う。
「今度写真が出来たら一緒に見ましょうね」
テーブルには温かい料理が並ぶ。
佐川が皿を静かに置く。
「旦那様、奥様。本日はお疲れでございましょう。お食事をご用意いたしました」
「ありがとう、佐川」
妻の声は穏やかだ。
食事が始まる。
結は楽しそうに話し続ける。
「ねえねえ、さがわとね、かくれんぼもしたの!」
「勝ったのか?」
夫が問う。
「うん!さがわすぐみつけちゃった!」
佐川が少しだけ困ったように微笑む。
「結お嬢様は隠れるのがお上手で」
夫が静かに言う。
「佐川、ご苦労だったな」
「いえ。光栄でございます」
その言葉の裏にある距離感は、いつもと変わらない。
結が突然、フォークを持ったまま夫を見る。
「パパ、ママ、たのしかった?」
夫は即答する。
「ああ」
妻もゆっくり頷く。
「とても」
「どっちがさそったの?」
夫がにやりとする。
「俺だ」
「やっぱりー!」
結が笑う。
妻が穏やかに言う。
「パパがね、どうしてもって」
「どうしても?」
「うん。ママの写真を撮りたいって」
結は不思議そうに首を傾げる。
「ママいつもいるのに?」
夫は少しだけ真剣な声で言う。
「特別な姿を、残したかったんだ」
妻はそっと夫を見る。
佐川が静かに紅茶を注ぎながら言う。
「素敵なことでございます」
一瞬、視線が夫婦に向く。
白無垢姿を想像する。
胸の奥が、わずかにざわめく。
しかし表情は崩さない。
結が無邪気に言う。
「つぎはゆいもデートいきたい!」
夫が笑う。
「今度な」
「ママともまたいくの?」
妻が答える。
「そうですね、また行きたいですね」
夫は低く言う。
「何度でも行く」
「あなた」
少し照れた声。
結は満足そうにオレンジジュースを飲む。
夜景の向こうに三日月が浮かぶ。
食卓の光の中、家族の時間が流れる。
佐川は一歩引いた位置で立ち、静かにその光景を見守る。
旦那様は奥様だけを見る。
奥様は旦那様を見つめる。
結お嬢様はその真ん中で笑う。
佐川は心の中で呟く。
――今日は、本当に晴れて良かった。
そして静かに頭を下げ、次の皿を用意した。




