猫カフェでのやすらぎ②
猫カフェを出ると、夕方の光がやわらかく街を包んでいた。
店のドアが閉まり、外の空気が少しひんやりと頬に触れる。
しばらく並んで歩く。
妻はまだ指先に残る猫の温もりを感じていた。
妻「……楽しかったです」
小さく言う。
夫「ああ」
夫は短く答えるが、その声は穏やかだ。
数歩進んだところで、夫が不意に言う。
夫「猫、飼ってみるか」
妻が立ち止まる。
夫「え?」
夫「家、広い。世話もできる」
さらりとした口調。
夫「今日みたいに、膝に乗るのが毎日でもいいだろう」
妻の目が揺れる。
妻「……嬉しいです」
本心。
頬がわずかに赤くなる。
妻「でも」
夫「でも?」
妻「もう少し先で、いいかもしれません」
夫は横目で見る。
夫「理由は」
妻は少し考え、ゆっくり歩き出す。
妻「今日の時間が、特別だったから」
夫「特別?」
妻「ええ。今はまだ、二人だけの時間をもう少し大切にしたいの」
夫は黙って聞いている。
妻は歩みを止め、改めて彼を見上げる。
妻「……ひとつ、聞いてもいいですか」
夫「何だ」
妻は静かに続ける。
妻「子どもがいる未来」
少し息を吸う。
妻「猫がいる未来」
目を逸らさない。
妻「そして、二人だけの未来」
沈黙。
妻「どの未来でも、後悔はありませんか」
空気が少しだけ張りつめる。
夫はすぐには答えない。
数秒、妻を見つめる。
夫「未来は選べない部分もある」
低い声。
夫「子どもができるかどうかもな」
妻の指先が、わずかに握られる。
夫「だが」
夫は一歩近づく。
夫「どの未来でも、お前がいるなら構わない」
はっきりと。
妻の瞳が揺れる。
妻「本当に?」
夫「ああ」
妻「猫がいなくても?」
夫「構わない」
妻「子どもがいなくても?」
一瞬、風が通り抜ける。
夫「構わない」
迷いはない。
妻「二人だけで、年を重ねても?」
夫は少しだけ口元を緩める。
夫「それも悪くない」
妻の目に、涙が滲む。
妻「私は……欲張りです」
夫「知っている」
妻「全部、欲しいと思ってしまうのです」
夫「欲張ればいい」
静かな声。
夫「だが、手に入らなかったとしても」
妻は息を詰める。
夫「後悔はしない」
夫は続ける。
夫「俺が選んだのは、お前だ」
子どもでも、猫でもなく。
夫「未来の形ではない」
妻は小さく笑う。
妻「ずるい言い方です」
夫「合理的なだけだ」
妻「感情論に聞こえます」
夫「どちらでもいい」
妻はそっと手を伸ばし、夫の手を握る。
妻「……私は、あなたといる未来なら、どの形でも受け入れます」
夫「なら問題ない」
短く言う。
妻はふっと息を吐く。
妻「では、猫はもう少し先に」
夫「そのときは、名前を付けないとな」
妻「考えておきます」
二人の間に、静かな笑いが生まれる。
夕暮れの光が長い影を作る。
夫「後悔はない」
夫が、改めて言う。
「お前が隣にいる限り」
妻はその言葉を胸に落とす。
未来はまだ決まっていない。
子どもがいるかもしれない。
猫がいるかもしれない。
二人だけかもしれない。
けれど今は。
並んで歩く、この時間が確かだった。
妻は夫の手を握り直す。
妻「帰りましょう」
夫「ああ」
二人の影が、ゆっくりと重なって伸びていった。




