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終わらぬ転落  作者: ありり
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猫カフェでのやすらぎ①

猫カフェ予約日。


朝から空気がどこか軽い。


夫は本当に休みを取った。

スーツではなく、濃紺のシャツにラフなパンツ姿。


リビングで腕時計を外しながら言う。


夫「今日は一切仕事しない」


妻は少し驚いたように微笑む。


妻「本当にお休みを?」


夫「予約をしたのは俺だ」


淡々とした口調。


妻の目がやわらぐ。


今日はドレスではない。

黒のニットにデニム。髪も自然にまとめただけ。


それでも品は消えない。


妻「佐川」


妻は振り返る。


佐川「はい、奥様」


妻「本日の掃除はリビングと寝室を重点的に。窓も磨いておきなさい」


佐川「承知いたしました」


妻「夕方までには戻るわ。それまでに終わらせなさい」


佐川「かしこまりました」


夫が扉を開く。


夫「行くぞ」


妻は軽く頷く。


妻「ええ」


佐川は深く頭を下げる。


佐川「いってらっしゃいませ、旦那様、奥様」


扉が閉まる。


足音が遠ざかる。


――


近くの猫カフェ。


木の温もりある空間。

キャットタワー、丸椅子、棚の上で丸くなる猫たち。


受付を済ませると、スタッフが微笑む。


スタッフ「ご予約ありがとうございます」


夫が短く頷く。


妻はそっと室内を見渡す。


妻「……可愛い」


小さな声。


すぐに茶トラの猫が近づき、妻の足元に座る。


妻「来てくれたの?」


膝を折り、そっと撫でる。


猫は目を細め、喉を鳴らす。


夫は少し距離を置いて座る。


そこへ大きめのキジ白が、無遠慮に近づく。


夫「お前もか」


低く言いながら、そっと頭を撫でる。


猫はじっと夫を見上げる。


妻が笑う。


妻「あなた、好かれていらっしゃいますね」


夫「懐いているだけだ」


妻「それを“好かれている”と言うのですよ」


茶トラが妻の膝に乗る。


妻「……重い」


けれど顔は嬉しそうだ。


夫がぽつりと言う。


夫「猫はかわいいな」


妻が顔を上げる。


妻「そうでしょう?」


夫「無防備だ」


大きなキジ白が夫の手に頭を押し付ける。


妻「安心しているからです」


妻はゆっくりと猫の背を撫でる。


妻「柔らかいですね」


夫「思ったより、温かい」


二人の間に静かな笑いが生まれる。


別の猫が足元を横切る。


妻が少し身を乗り出す。


妻「見て、あの子、こちらを見ています」


夫「餌目当てだろう」


妻「夢がないわ」


夫「現実的だ」


軽い掛け合い。


猫たちは自由に動き回り、ときどき二人の間を通る。


妻は少しだけ夫の方へ椅子を寄せる。


妻「こういう時間、久しぶりね」


夫「そうか」


妻「仕事の話をしなくていい時間」


夫はキジ白の背を撫でながら言う。


夫「悪くない」


妻は微笑む。


妻「予約、ありがとうございます」


夫「お前が喜ぶなら」


妻「喜んでおります」


はっきりと言う。


夫の口元がわずかに緩む。


茶トラが丸くなり、妻の膝で眠り始める。


妻「動けません」


夫「そのままでいろ」


夫の声は穏やかだ。


妻「あなたは?」


夫「俺も動けない」


キジ白が夫の膝に乗っている。


二人の間に、小さな猫がもう一匹割り込む。


妻がくすりと笑う。


妻「囲まれましたね」


夫「……悪くない」


猫の喉音が重なる。


時間がゆっくり流れる。


妻は小さく息を吐く。


妻「来てよかった」


夫「そうか」


妻「ええ」


夫は猫の耳の後ろを撫でながら、静かに言う。


夫「また来ればいい」


妻の目がやわらぐ。


妻「そのときも、お休みを?」


夫「考える」


短い返事。


けれど拒まない。


店内は穏やかな空気に包まれている。


猫たちと、静かな笑い声。


仕事も立場も関係ない時間。


ただ二人で、同じ方向を見ている。


妻はそっと夫を見る。


夫も、わずかに視線を返す。


その間を、小さな茶トラが丸くなって埋めていた。


穏やかな午後が、ゆっくりと流れていった。

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