表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨のち晴れ  作者: ありり
308/311

あれから③

結が家を出てから、少し時間が経った。


四月。


北海道へ向かう空港で、結は最後まで明るかった。


「パパ、ちゃんとご飯食べてね」


「わかってる」


「佐川に頼んであるから」


「余計だ」


そんなやり取りをして、手を振って別れた。


飛行機が飛び立つのを見た時、胸の奥にぽっかり空いたものを感じた。


だが、寂しさよりも先に浮かんだのは、


「……立派になったな」


という気持ちだった。


家に戻ると、佐川が静かに荷物をまとめていた。


結の自立を見届けて、佐川もこの家を出る。


それが自然な流れだった。


俺は言った。


「佐川」


「はい、旦那様」


「もう俺の世話はいい」


佐川は黙って聞いている。


「相馬のところへ行け」


「……」


少し沈黙があった。


そして佐川は穏やかに言った。


「この家は出ます」


「ですが」


少し言葉を選ぶ。


「通いで、週に数日」


「旦那様を支えさせていただけませんか」


俺は苦笑した。


「……悪いだろ」


「いいえ」


佐川は静かに首を振った。


「私がそうしたいのです」


少し考えて、俺は頷いた。


「……じゃあ」


「甘える」


佐川は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


それから会社の方も変えた。


ある日、社長室で相馬に言った。


「相馬」


「はい」


「社長をやれ」


相馬は一瞬、本当に固まった。


「……社長」


「冗談ですよね」


「いや」


俺は続けた。


「俺は会長になる」


「少しゆっくりやる」


相馬はすぐに言った。


「できません」


珍しくはっきりと反発した。


「まだ早すぎます」


「社長が——」


「相馬」


俺は言った。


「お前ならできる、大丈夫だ」


相馬はしばらく黙っていた。


長い沈黙のあと。


「……わかりました」


渋い顔で言った。


「引き受けます」


そして小さく付け加えた。


「納得はしていませんが」


俺は笑った。


「そのうち慣れる」


それから。


俺は猫を飼い始めた。


リビングのソファの上で、そいつは堂々と寝ている。


「おい」


声をかける。


猫はちらっとこっちを見て、また寝る。


「……俺の話し相手だ」


と言っても、聞いているのかどうかはわからない。


それでも。


誰もいないよりは、ずっといい。


この家は広い。


俺と猫でも、広すぎる。


ソファに座りながら、部屋を見渡す。


結が小さかった頃。


妻がいた頃。


笑い声。


カレーの匂い。


全部ここに残っている。


だから。


ここにいたい気持ちは強い。


だが、最近思う。


「……引っ越すのも」


悪くない。


新しい場所。


新しい生活。


人生には節目がある。


妻と出会った日。


結が生まれた日。


そして。


結が家を出た日。


今はきっと、次の節目なんだろう。


猫が伸びをした。


「ニャー」


俺は立ち上がり、窓の外を見る。


空はよく晴れている。


「……お前」


写真に向かって言う。


棚の上の妻の写真。


「結、立派になったぞ」


北海道で頑張っている。


俺はもう心配していない。


あいつなら大丈夫だ。


そして俺も。


「まだ」


生きていく。


ゆっくりでも。


前を向いて。


猫を抱き上げる。


「行くか」


新しい人生へ。


静かな部屋に、柔らかな光が差し込んでいた。


それは、これから続く日々を照らすようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ