あれから①
あれから三年九ヶ月後。
三月。
まだ少し寒さが残る春の入口。
リビングには夕方の柔らかな光が差し込んでいた。
結は制服姿のままソファに座っている。
高校三年生。
もうすぐ卒業式だ。
夫はコーヒーを飲みながら窓の外を見ている。
四十九歳。
気づけば、もうそんな年になっていた。
そして。
四月から。
結はこの家を出る。
北海道。獣医学部。
六年間、向こうで暮らすことになる。
結が静かに言う。
「パパ」
夫が振り向く。
「ん?」
結は少し笑う。
「四月から」
少し間。
「寂しくなるね」
夫は一瞬だけ黙る。
そして言う。
「心配するな」
結が首をかしげる。
「え?」
夫はコーヒーを一口飲む。
「俺は大丈夫だ」
結は少し笑う。
「ほんと?」
夫は淡々と言う。
「ああ、仕事もある」
結が言う。
「でもさ」
少し優しい声。
「たまに電話するよ」
夫が頷く。
「そうか」
結が続ける。
「休みには帰ってくるし」
「夏休みとか、冬休みとか」
夫が言う。
「ああ」
短い返事。
結は夫を見る。
少しだけ寂しそうな顔。
夫はそれに気づきながらも、いつもの調子で言う。
「それより」
結が聞く。
「ん?」
夫が言う。
「たまには」
少し間。
「写真送れ」
結が少し驚く。
「写真?」
夫が言う。
「北海道の景色でも大学でもなんでもいい」
結は少し笑う。
「パパがそんなこと言うの珍しい」
夫が肩をすくめる。
「そうか」
結は嬉しそうに言う。
「もちろん送るよ」
夫が言う。
「ああ」
リビングには穏やかな空気が流れていた。
春が、静かに近づいていた。




