過去からのラブレター④
静かな個室。
テーブルの上には、開かれた手紙。
夫はしばらくそれを見つめていた。
相馬は何も言わず、ただ待っている。
長い沈黙のあと。
夫が小さく息を吐いた。
「……相馬」
「はい」
夫はグラスを持つが、すぐには飲まない。
「妻の誕生日にな」
相馬が顔を上げる。
「泣いたんだ」
相馬は静かに聞く。
「……先日の?」
「ああ」
夫は小さく笑う。
「結とデパートに行った」
「妻の誕生日だったからな」
相馬は黙って頷く。
夫は続ける。
「レストランで」
「クリームソーダを三つ頼んだ」
「一つは結」
「一つは俺」
「もう一つは……妻の分だ」
相馬の目が少し柔らかくなる。
夫は言う。
「結がな」
少し声が詰まる。
「……誕生日おめでとう、って言った」
夫は目を伏せる。
「それで」
小さく息を吐く。
「泣いた」
相馬は静かに聞いていた。
夫が言う。
「……それなのに」
少し笑う。
「今日も泣きそうだ」
相馬はグラスを置く。
そして静かに言った。
「泣いても構いません」
夫が顔を上げる。
相馬は続ける。
「いくらでも」
「泣いてよろしいかと」
その言葉を聞いた瞬間。
夫の目から、静かに涙が落ちた。
止めようとしなかった。
ただ、流れるままに任せた。
夫は小さく言う。
「……あいつ」
手紙を見つめる。
「十年後の俺を心配してる」
声が震える。
「笑ってるか、とか」
「身体を大事にしてるか、とか」
「結と仲良くしてるか、とか」
夫は苦く笑う。
「……俺より先の時間を」
「ちゃんと考えてる」
胸がいっぱいだった。
「……あいつらしい」
相馬が静かに言う。
「ええ」
「奥様らしいですね」
夫は涙を拭く。
そして言う。
「……相馬」
「はい」
「お前には」
少し間を置く。
「随分支えられた」
相馬は首を横に振る。
「私は」
静かに言う。
「奥様の代わりにはなれません」
夫は何も言わない。
相馬は続ける。
「ですが」
少しだけ真っ直ぐに言う。
「共に歩み」
「社長を支えていくことはできます」
「これからも」
夫は相馬を見る。
長い付き合いの部下。
そして今は、唯一と言っていい理解者。
夫はゆっくり頷く。
「……頼む」
相馬も軽く頭を下げる。
「お任せください」
夫は手紙をもう一度見る。
妻の文字。
十年前の想い。
「……心配させたくないな」
小さく呟く。
「こんな顔してたら」
夫はグラスを持つ。
一口飲む。
そしてゆっくり息を吐く。
「……前を向く」
相馬が静かに聞く。
「はい」
夫は続ける。
「結もいる」
「会社もある」
「お前もいる」
そして手紙をそっと折る。
「……だから」
声は静かだが、確かだった。
「ちゃんと生きていく」
それは誓いだった。
ずっと愛している人へ。
そして。
これからを生きる自分自身へ。




