結4歳の誕生日①
二月の下旬。
タワマン最上階のリビング。
窓の向こうには、まだ少し冷たい冬の空。
結は朝から落ち着きなくソファと窓辺を行ったり来たりしていた。
「ねえ、ママ」
「なあに?」
「あと何回寝たら、結のお誕生日?」
妻はくすりと笑う。
「あと五回ね」
「五回かあ……」
結は指を折りながら数え、またそわそわと歩き出す。
その様子を新聞越しに見ていた夫が、低く笑った。
「そんなに待ちきれないのか」
「だって、結、三月三日だもん。ひなまつりの日だもん」
胸を張る結。
「今年はどこ行きたいんだ」
夫が何気なく聞くと、結はぱっと顔を上げた。
「動物園!」
「動物園?」
「うん!キリンと、ぞうさんと、うさぎさんも見たい!」
妻が柔らかく微笑む。
「いいわね。あなた、お仕事は大丈夫そうですか?」
夫は静かにカップを置いた。
「もう調整してある」
「え?」
「その日は一日休む」
結の目がまんまるになる。
「ほんと!?」
「ああ。俺の娘の誕生日だ。外せるわけないだろ」
結は勢いよく夫に抱きついた。
「やったー!パパだいすき!」
「……ああ、そうか」
照れを隠すようにぶっきらぼうに言いながらも、しっかり抱き返している。
妻はその様子を穏やかに見つめながら言った。
「誕生日プレゼントは、何がいいの?」
「うーん……」
結は真剣な顔になる。
「まだ決まってないの」
「そう」
夫が口を挟む。
「じゃあ、動物園の帰りにおもちゃ屋に行くか」
「えっ、いいの!?」
「その場で選べ」
「やったあああ!」
結はぴょんぴょん跳ねながら妻の手を取る。
「ママ!パパすごい!」
「ふふ。よかったわね」
リビングは、春を待つ空気よりも少し早く、温かさに包まれていた。
⸻
夜。寝室。
結は自室で、うさぎのぬいぐるみを抱いて眠っている。
静かな寝室で、夫はベッドに腰掛け、窓の外の灯りを眺めていた。
「……あっという間だな」
ぽつりと呟く。
妻が隣に座る。
「何がですか?」
「結が生まれてからの時間だよ」
少し低い声。
「この前まで、あんなに小さかったのに」
妻は小さく頷く。
「本当ね。昨日のことのようです」
夫は天井を見上げた。
「予定日より四日早かったよな」
「ええ」
妻は懐かしそうに微笑む。
「急にお腹が張って……。病院に着いた時には、もうかなり進んでいて」
「……大変だったな」
「あれは、なかなかでした」
くすっと笑う。
「でも、不思議。痛みよりも、早く会いたいって気持ちの方が強くて」
夫は妻を見る。
「俺は、何もできなかった」
「そんなことないわ」
「分娩室の外で、ただ待つだけだった」
拳を軽く握る。
「あんなに長い時間は初めてだった」
妻はそっと夫の手に触れる。
「ドアが開いて、看護師さんに呼ばれて……」
「……ああ」
「あなたの顔、今でも覚えていますよ」
「どんな顔だった」
「今にも泣きそうでした」
夫は少しだけ目を細める。
「泣いてない」
「ふふ。そうね」
静かな間。
夫は妻の手を握り直した。
「……ありがとう」
低く、真っ直ぐな声。
「結を産んでくれて」
妻は驚いたように目を瞬かせ、それから柔らかく微笑んだ。
「こちらこそ」
「何がだ」
「一緒に迎えてくれて、ありがとう」
夫は少し照れたように視線を逸らす。
「……お前が無事で、本当に良かった」
その一言に、妻の瞳がわずかに潤む。
「ふふ」
窓の外には、春を待つ街の灯り。
もうすぐ三月三日。
あの日と同じように、
また新しい一年が始まろうとしていた。




