結と妻のバレンタイン大作戦⑦ 〜佐川の胸の内〜
夜も更けて。
自室に戻った佐川は、静かに椅子へ腰を下ろした。
胸の奥が、まだ温かい。
――おたんじょうび、おめでとう!
あの無垢な声が、何度もよみがえる。
かつて。
自分は祝われる側の「主人」だった。
広い邸宅。
整えられた長いテーブル。
使用人たちが並び、一斉に頭を下げる。
「お誕生日おめでとうございます」
完璧に整えられた祝辞。
高価な贈り物。
豪奢な料理。
それが当たり前だった。
だがそこに、今日のような温度はあっただろうか。
(……いいえ)
あの頃は、祝われることに慣れすぎていた。
当然のように受け取り、
当然のように頷いていた。
心が動くことは、ほとんどなかった。
それが今。
自分はこの家の使用人だ。
主人に仕え、
家を整え、
影として働く立場。
けれど今日、テーブルに並んでいたのは四人分の食事。
自分の席が、当たり前のように用意されていた。
「佐川、今日は一緒に食べるわよ。」
奥様のあの言葉。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
(使用人として、祝われる……)
立場は、かつてとは逆だ。
だが――
今日の「おめでとう」は、
命令でも儀礼でもなく、
小さな手で引かれ、
笑顔で向けられた、
まっすぐな祝福だった。
旦那様の「誕生日おめでとう」も、
あの人らしく短く、けれど確かな重みがあった。
そして手作りのクッキー。
不揃いで、
少し形が歪んでいて、
だが、あれほど美味しいものはない。
(私は……)
目を閉じる。
かつては財も地位もあった。
今はない。
だが今は、
温かな食卓がある。
名前を呼んでくれる人がいる。
席を用意してくれる人がいる。
「……四十七年」
長い人生だ。
失ったものも多い。
だが今日、はっきりと思う。
(私は今の方が、幸せかもしれません)
使用人として祝われた誕生日。
それは、誇りを失う日ではなく――
居場所を与えられた日だった。
頬を伝いそうになる涙を、そっと指で拭う。
「……ありがとうございます」
誰に向けてともなく、静かに呟いた。
今年の二月は、
きっと、一生忘れない。




