結と妻のバレンタイン大作戦⑥
夜。
ダイニングには、やわらかな灯りが落ちている。
テーブルの上には四人分の食事。
パスタ、彩りの良いサラダ、温かなスープ。
そして――小さな袋に入ったクッキー。
結が椅子から立ち上がる。
「さがわ、よんでくる!」
「お願い!」
妻が微笑む。
廊下を駆ける足音。
コンコン、とノック。
「さがわー!」
「はい、お嬢様?」
扉が開く。
「ごはん!」
「今、参ります」
佐川がダイニングに足を踏み入れた瞬間、わずかに足を止めた。
「……これは」
四人分、並んだ食事。
自分の席まで、きちんと用意されている。
結が佐川の手を引く。
「こっち!」
「お、お嬢様……」
「さきにすわって!」
半ば強引に椅子へ座らされる。
夫はすでに席に着き、静かに様子を見ている。
妻も向かいに座る。
全員が席についたところで。
結が背筋を伸ばす。
「さがわ」
佐川はまっすぐ見る。
「はい」
結はにっこり笑った。
「おたんじょうび、おめでとう!」
一瞬、空気が止まる。
妻が続く。
「佐川、お誕生日おめでとう」
夫も、静かに。
「誕生日おめでとう、佐川」
低く、落ち着いた声。
佐川は目を見開いたまま、言葉を失う。
「……皆様」
結が袋を指さす。
「くっきーも、さがわの!」
「私の……?」
妻がうなずく。
「今日、結と一緒に作ったのよ」
「え……」
「バレンタインデーだから。好きな人へ贈る日だそうよ」
佐川の喉が詰まる。
夫がふと袋を持ち上げる。
「食事の前だが……これを食べてもいいか?」
結が勢いよくうなずく。
「もちろん!」
「では」
夫は一枚取り出し、口に運ぶ。
さくり、と軽い音。
わずかな沈黙。
「……美味い」
そして、ほんのわずかに微笑む。
結がぱあっと顔を輝かせる。
「やった!」
小声で妻にささやく。
「ママ、さくせんだいせいこう!」
妻も小さくうなずく。
「ええ、大成功ね!」
佐川も、おそるおそる自分の袋から一枚取り出す。
指先が、少し震えている。
ひと口。
さくり。
バターの香りと、優しい甘さ。
「……美味しいです」
声がかすれる。
「とても……美味しいです」
目の端に涙がにじむ。
結が心配そうにのぞき込む。
「さがわ、ないてる?」
佐川は慌てて目元を押さえる。
「いえ……嬉しくて」
妻が穏やかに言う。
「佐川、今日は一緒に食べるわよ。」
佐川は深く頭を下げる。
「……ありがとうございます」
夫がグラスを持ち上げる。
「では、改めて。佐川の誕生日に」
結も慌ててコップを持つ。
「かんぱい!」
「乾杯」
小さくグラスが触れ合う音。
温かな料理の湯気。
甘いクッキーの香り。
笑い声。
特別なことは何もない。
けれど――
穏やかで、やさしい夜。
こうして、最上階のダイニングには、
静かで幸せなひとときが流れていた。




