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雨のち晴れ  作者: ありり
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結と妻のバレンタイン大作戦⑤

夕方。


玄関のドアが開く音。


「ただいま戻りました」


買い物袋を提げた佐川が足を踏み入れた瞬間、キッチンから賑やかな音が聞こえてくる。


「ママ、それ、ここ?」


「うん、そこに置いて」


佐川は目を瞬かせた。


(……奥様とお嬢様が、台所に?)


エプロン姿の妻と、その横で背伸びをしながら手伝う結。


佐川はすぐに靴を揃え、キッチンへ向かう。


「奥様、戻りました。すぐに私も――」


「佐川」


妻は振り向き、穏やかだがはっきりと告げる。


「今日は手伝わなくていいわ」


「しかし――」


「部屋で休んでいなさい」


きっぱりとした声音。


佐川は戸惑う。


「私の誕生日だから、ですか?」


結がにこにこしながら佐川を見る。


「さがわ、きょうはだめー」


「お嬢様まで……」


妻は微笑む。


「命令よ」


佐川は観念したように小さく息を吐き、深く一礼する。


「……承知いたしました」


結は満足そうにうなずく。


「よし」



しばらくして。


再び玄関の開く音。


「ただいま」


低く落ち着いた声。


結の目がぱっと輝く。


「ぱぱ!」


妻がそっと結を見る。


「帰ってきたわね」


結はこくりとうなずく。


「くっきー、わたしたい!」


「ええ。行ってらっしゃい」


結は大事そうに袋を抱え、ダッシュで玄関へ。


廊下に小さな足音が響く。


「ぱぱ!」


コートを脱ぎかけた夫が目を細める。


「おかえり!」


「はやくかえってきてくれた!」


「ああ」


結は息を弾ませながら、袋を差し出す。


「これ!」


夫は視線を落とす。


「……なんだ?」


「くっきー!」


「クッキー?」


「ママと、ゆいでつくったの!」


夫の眉がわずかに動く。


「手作りか」


「うん!」


結は胸を張る。


「きょうは、ばれんたいんでーだから!」


夫は静かに問い返す。


「バレンタイン?」


「すきなひとにあげるひ!」


まっすぐな目。


「ぱぱ、すきだからあげる」


一瞬、夫の表情が止まる。


それから、ゆっくりと息を吐き――


「……そうか」


片手で袋を受け取り、もう片方の腕で結を軽々と抱き上げる。


「よく作ったな」


「おいしかったよ!」


「味見はしたのか」


「した!」


夫は小さく笑う。


「抜かりないな」


クッキーの袋を持ったまま、結を抱えてリビングへ向かう。



リビングでは妻が静かに立っていた。


「おかえりなさい」


「ただいま」


夫は結を抱いたまま、妻を見る。


「お前も作るのは初めてか?」


妻は穏やかにうなずく。


「ええ。初挑戦です」


「初めてか」


「失敗していたら、どうしようかと」


夫は袋を少し持ち上げる。


「大丈夫だろう。結は自信満々だった」


結は腕の中で誇らしげに言う。


「おいしいよ!」


夫は妻を見つめる。


「……ありがとう」


短い一言。


だが、その声はいつもより柔らかい。


妻は微笑んだ。


「どういたしまして」


甘いクッキーの香りが、ほんのりと漂う。


そしてまだ、佐川は自室で何も知らずにいる。


今夜は、まだ続きがある――


そんな空気を残しながら、リビングに三人の穏やかな時間が流れ始めた。

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