穏やかな年末①
――12月末 リビング
クリスマスツリーは片付けられ、代わりに小さな門松と鏡餅が飾られている。
窓の向こうには、冬の澄んだ夜景。
ソファに座る夫は、タブレットを閉じて小さく息を吐いた。
「……年末年始だが、元日だけ休む。あとは仕事だ」
静かな声だった。
妻は向かいに座り、湯のみを差し出す。
「そうですか……。無理はなさらないでくださいね。体調を崩されたら元も子もありません」
「わかってる。だが、この時期はどうしても動く」
そのやり取りを聞いていた結が、うさぎのぬいぐるみを抱きしめたまま、しゅんとする。
「パパ、おしょうがつ、いっぱいあそべないの……?」
夫は一瞬だけ表情を緩め、結の前にしゃがんだ。
「元日は一日中一緒だ。約束する」
「ほんと?」
「ああ。初詣も、おせちも、全部一緒だ」
結の顔が少し明るくなるが、まだ名残惜しそうだ。
すると妻が、にこりと微笑む。
「結、二日と三日はおじいちゃんとおばあちゃんのところに行こうか。ほら、隣県だからすぐよ?」
「えっ、ほんと!? いくいく!」
さっきまでの沈んだ顔が嘘のように、ぱっと弾ける。
夫はその様子を見て、ほっと息をついたあと、妻を見る。
「……すまない。挨拶に行けなくて」
「気にしないでください」
妻は穏やかに首を振る。
「父も母も、あなたが忙しいのは知っています。元日に一緒にいられるだけで、結も私も十分嬉しいです」
結が元気に頷く。
「パパ、やくそくだからね!」
「ああ、約束だ」
夫は小さな指と自分の指を絡めた。
⸻
その時、控えめな足音。
「お呼びでしょうか」
佐川がリビングに入ってくる。
妻は立ち上がった。
「佐川、年末年始は休んでいいのよ。」
一瞬の沈黙。
佐川は目を伏せ、淡々と答える。
「いえ、旦那様のお世話をさせていただきます」
その言葉に、空気が少しだけ静まる。
夫が低く言った。
「佐川」
「はい、旦那様」
「元日だけは休め」
佐川がわずかに顔を上げる。
「ですが……」
「相馬も休ませるつもりだ」
妻が目を丸くする。
「相馬さんも?」
「ああ。秘書も人間だ。正月ぐらい休ませる」
そして、少しだけ意地の悪い口調で続けた。
「二人で初詣でも行ってこい」
一瞬、時が止まる。
「……っ」
佐川の頬がみるみる赤くなる。
「だ、旦那様、そのような……!」
結がきょとんとする。
「さがわ、だれといくの?」
「い、いえ、お嬢様、その……!」
妻はくすりと笑う。
「いいじゃない。初詣くらい。佐川だってお願い事、あるでしょう?」
佐川は視線を落とし、小さく呟く。
「……ございません」
「あるだろ」
夫が静かに言う。
「人の幸せを願うばかりじゃなく、自分のことも願え」
その言葉に、佐川は一瞬だけ言葉を失う。
「……旦那様」
「命令だ。元日は俺も休みだ。お前がいなくても困らん」
妻が柔らかく続ける。
「安心して。結と私で、ちゃんと見張ってますから」
「見張るな」
夫が即座に返す。
結が笑う。
「パパ、さがわにあまえないでね!」
「……お前らな」
佐川は困惑しながらも、わずかに微笑んだ。
「……承知いたしました。元日のみ、お休みをいただきます」
そして小さく、ほとんど聞こえない声で。
「……初詣、行けたら……」
夫はそれ以上追及せず、淡々と頷く。
「行ってこい」
窓の外では、遠くで年末の花火が小さく上がった。
忙しない年の瀬。
それでも、この家の中には、確かな温もりがあった。
元日は、家族で過ごすと約束した日。
そして、誰もがほんの少しだけ、自分の幸せを願う夜だった。




