秋、ふたつの文化祭④ -佐川と相馬-
十一月の午後。
慶明大学の最寄り駅前は、文化祭の人波でにぎわっていた。
改札を出たところで、佐川は小さく息を整える。
ベージュの秋用コート。
髪はいつもより少しだけ丁寧に整えた。
「……落ち着いて」
自分に言い聞かせたその時。
「佐川さん」
低く落ち着いた声。
振り向くと、黒いコート姿の相馬が立っている。
四十六歳とは思えぬ端正な顔立ち。
仕事のときとは違う、わずかに柔らかい表情。
「お待たせしましたか」
「いえ、今来たところです」
一瞬の沈黙。
互いに少しだけ照れくさい。
「では、行きましょうか」
「はい」
並んで歩き出す。
駅から大学までは、学生たちの笑い声が絶えない。
「懐かしいですね」
佐川が言う。
「ええ。ここを歩くのは卒業以来かもしれません」
「相馬さんは経済学部でしたね」
「はい。水泳サークルに所属していました」
「水泳……意外です」
「そうですか?」
「もう少し、書物に囲まれている印象でした」
相馬が小さく笑う。
「小さい頃から水泳をやってました。佐川さんは文学部でしたね。サークルは何かされていたのですか?」
「はい。テニスサークルでした」
「テニス」
「運動不足解消程度です」
「コートに立つ佐川さん、想像がつきません」
「私も、プールサイドの相馬さんは想像できません」
二人、同時に少し笑う。
校門が見える。
色とりどりの看板、呼び込みの声。
「いらっしゃいませー!」
「経済学部展示はこちら!」
「テニスサークル、模擬店やってます!」
相馬が足を止める。
「まずはそれぞれの催し物を見ますか」
「そうですね」
「経済学部の企画、意外と真面目かもしれませんよ」
「文学部も負けていません」
「では、両方見て公平に判断しましょう」
「ええ」
構内を歩く二人。
どこか自然な距離。
だが、心の距離は少しだけ近い。
ふと、佐川が足を緩める。
「……相馬さん」
「はい」
「一つ、お聞きしてもよろしいですか」
「どうぞ」
佐川は少し視線を落とす。
「なぜ、私をお誘いになったのですか」
ざわめきの中、静かな問い。
相馬はすぐには答えない。
人の流れを横目に、ゆっくりと言う。
「情があるから、でしょうか」
佐川の胸が小さく揺れる。
「情、ですか」
「ええ」
「それは……友情ですか」
相馬はわずかに息を吐く。
「正直に申し上げますと」
一拍。
「自分でも、わかりません」
佐川は顔を上げる。
「わからない?」
「はい。友情かもしれませんし、そうでないかもしれない」
ざわめきの向こうで、音楽が鳴る。
「ただ」
相馬の声が低くなる。
「私は社長に忠誠を誓っています」
「……はい」
「社長が一番であることは、揺るぎません」
その言葉に嘘はない。
「ですが」
一瞬の間。
「仕事以外にも、興味が出てきた」
佐川の指先がわずかに動く。
「それが、私ですか」
「ええ」
視線が重なる。
真っ直ぐで、誤魔化しのない目。
「佐川さんと話す時間は、穏やかです」
佐川は小さく息を吸う。
「……光栄です」
「ただ、それが何と呼ぶべき感情かは、まだ整理がつきません」
「急ぐ必要はございません」
佐川の声は、静かで落ち着いている。
「今日のところは、文化祭を楽しみましょう」
相馬が柔らかく笑う。
「そうですね」
「水泳サークルの模擬店、見に行きますか」
「ええ」
二人、並んで歩き出す。
情の正体はまだ曖昧なまま。
だが、秋の空の下。
その曖昧ささえ、心地よかった。




