秋、ふたつの文化祭②
朝。
玄関先で、佐川が控えめな装いで立っている。
「では、行ってまいります」
「いってらっしゃい、さがわ!」
結がぴょんと抱きつく。
「楽しんできなさいね」
妻が穏やかに言う。
「はい。ありがとうございます」
封筒のことを思い出し、佐川はもう一度頭を下げる。
そこへ夫が廊下から現れる。
「気をつけろ」
短い一言。
「はい、旦那様」
扉が閉まり、佐川の足音が遠ざかる。
結がくるりと振り向く。
「つぎはわたしたち!」
妻が笑う。
「そうね。準備しましょう」
⸻
しばらくして。
夫の運転で車は橋ノ一大学近くのパーキングへ。
「ここでいい」
エンジンを止める。
結はすでにチャイルドシートでそわそわ。
「もういく?もういく?」
「落ち着け」
車を降りると、遠くから音楽とざわめきが聞こえる。
校門が見えた瞬間、結の目が輝く。
「わああああ!」
入り口からすでにお祭りモード。
カラフルな看板、のぼり旗、学生たちの呼び込みの声。
「いらっしゃいませー!たこ焼きどうですかー!」
「焼きそばできたてでーす!」
「ライブは中庭でーす!」
結が夫の手をぐいっと引く。
「パパはやく!」
「店は逃げん」
「でもなくなっちゃうかも!」
「補充する」
妻がくすっと笑う。
「結、パパの手を離さないでね」
「うん!」
コンパクトな大学だが、模擬店がぎっしり並んでいる。
たこ焼き、焼きそば、フランクフルト。
綿あめ、クレープ、手作りアクセサリー。
奥では音楽ライブ、別の広場ではダンスパフォーマンス。
結はきょろきょろ。
「パパ!あれなに!」
「軽音サークルだな」
ギターの音が響く。
「かっこいい!」
妻が夫にそっと言う。
「人、多いですね」
「ああ」
「迷子にならないように気をつけないと」
夫は結の手を握り直す。
「離さん」
結が両手をぎゅっと握る。
「だいじょうぶ!」
⸻
受付でスタンプラリーの台紙をもらう。
「全部集めたら景品だって」
「やる!」
三人でキャンパス内を歩く。
教室、講堂、図書館前。
スタンプを押すたび、結は歓声を上げる。
「あとひとつ!」
途中、アクセサリー作り体験のブース。
「パパ、これやりたい!」
夫が一瞬眉を上げる。
「俺がか」
「いっしょに!」
妻が微笑む。
「いいじゃないですか」
夫は小さく息を吐く。
「……仕方ない」
テーブルに座り、小さなビーズを選ぶ結。
「パパ、これかわいい?」
「派手だな」
「いいの!」
真剣な顔で紐に通していく。
夫もぎこちなく手を動かす。
「難しいわね」
妻が横で見守る。
「細かい作業は嫌いではない」
「仕事より難しいですか?」
「種類が違う」
結が誇らしげに完成品を掲げる。
「できた!」
「上出来だ」
頭を撫でられ、結は満面の笑み。
⸻
午後。
キャンパス奥の銀杏並木。
黄色に色づき始めた葉が、風に揺れている。
人混みから少し離れ、三人でゆっくり歩く。
妻が静かに言う。
「ここを、あなたが歩いていたんですね」
「ああ」
「なんだか……」
少し言葉を探す。
「あなたに、また少し近づけた気がする」
夫が妻を見る。
「ただの大学だ」
「でも、あなたの時間があった場所です」
結が間に入る。
「パパ、ここでべんきょうしてたの?」
「していた」
「えらい?」
「普通だ」
妻が笑う。
「えらいですよ」
銀杏の葉が一枚、はらりと落ちる。
夫がふと口を開く。
「来年は」
「はい?」
「習命院の文化祭に行くか」
妻が目を見開く。
「私の?」
「ああ」
結が即答。
「ぜったいいく!」
「まだ一年あるぞ」
「まつ!」
妻は嬉しそうに笑う。
「楽しみがまた増えましたね」
夫は結の手を握り直す。
「来年も三人でだ」
「うん!」
銀杏並木の中、三人の影が並ぶ。
秋の光の中で、家族の時間が静かに積み重なっていく。




