秋、ふたつの文化祭①
夕方のリビング。
キッチンからは夕食の香り。
ソファでは結がぬいぐるみを並べて遊んでいる。
妻はエプロンの紐をほどきながら、ふと声をかけた。
「結」
「なあに?」
「明日ね、三人でお出かけするわよ」
結の顔がぱっと明るくなる。
「えっ、どこ!?」
「昔、パパが勉強していたところのお祭りに行くの」
「パパのほいくえん?」
妻はくすっと笑う。
「保育園じゃありません。大学です」
「だいがく?」
「大きいお兄さんやお姉さんがたくさんいる学校」
結は目を丸くする。
「パパもおにいさんだったの?」
「ええ、きっと」
そのとき、背後から低い声。
「“きっと”とは何だ」
振り向くと、夫がネクタイを緩めながら立っている。
「パパ、おにいさんだったの!?」
結が駆け寄る。
夫はしゃがみ、淡々と答える。
「一応な」
「おまつりってなにするの?」
「屋台が出たり、催し物があったり」
妻が補足する。
「たこ焼きとか、綿あめとかもあるかもね」
「わたあめ!?」
結は飛び跳ねる。
「いくいくいく!」
夫は小さく笑う。
「迷子になるなよ」
「ならないもん!パパとママと、ぎゅーってする!」
妻は優しく頷く。
「三人で手を繋ぎましょうね」
「うん!」
大はしゃぎの結を見つめながら、妻は静かに微笑む。
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その少し後。
リビングの隅で、佐川が明日の準備を整えている。
妻が近づく。
「佐川」
「はい」
「明日はお休みね」
「はい、奥様」
「楽しんできなさい」
佐川は一瞬戸惑う。
「……ありがとうございます」
妻はそっと封筒を差し出す。
「これは?」
「少しだけど。文化祭だから、何か食べたり、買ったりするでしょう」
「いえ、そのような――」
「受け取りなさい」
やわらかいが、はっきりとした声。
「気兼ねなく楽しんでほしいの」
佐川は封筒を見つめる。
「……奥様」
「相馬さんと、でしょう?」
佐川の頬がほんのり赤くなる。
「はい。同行、です」
「ええ、同行でも何でも」
妻は穏やかに微笑む。
「佐川にも、そういう時間は必要よ」
言葉が胸に沁みる。
「……ありがとうございます」
深く頭を下げる佐川。
その様子を、結がじっと見ていた。
「さがわもおまつりいくの?」
「はい、結お嬢様」
「相馬のおじさんと?」
「……はい」
結はにやりとする。
「ダブルおまつりだね!」
妻が笑う。
「そうね。明日はみんなお祭りね」
夫が新聞をめくりながら淡々と言う。
「騒がしくなりそうだな」
けれどその声は、どこか柔らかい。
窓の外には、秋の夜。
それぞれが、それぞれの“明日”を少しだけ楽しみにしている夜だった。




