休日の書斎、文化祭の約束④
夜。
静かな寝室。
間接照明の柔らかな灯りが、ベッドと壁を淡く照らしている。
妻はナイトウェア姿でベッドに腰掛け、髪をゆっくり梳いている。
夫は口を開いた。
「相馬がな」
「はい?」
「佐川と母校の文化祭に行くらしい」
妻の手が止まる。
「……そう、ですか」
驚きはなく、静かな声音。
「休みを取るそうだ。終日」
「珍しいですね、相馬さんが」
「ああ。十一年で初めて聞いた、あいつの私用だ」
妻は小さく微笑む。
「いいことですね」
「いいこと?」
「ええ。楽しんできてもらえれば」
夫は妻を横目で見る。
「気にならないのか」
「何がですか?」
「佐川と、だ」
妻はゆっくり夫のほうを向く。
「佐川の元夫は亡くなりました。あとは佐川自身の人生です。」
穏やかな声。
「佐川ももう四十六です。いいのではないでしょうか」
「……そうか」
妻は少しだけ首を傾ける。
「文化祭って、なんだか楽しそうですね」
「行ったことあるのか?」
「ありません」
即答。
夫がわずかに目を細める。
「お前は習命院大学だったな」
「はい。でも、サークルにも所属していませんでしたし、文化祭に行く機会もなくて」
「興味は?」
「特には」
あっさりしている。
「あなたは?」
夫はベッドの端に腰を下ろす。
「橋ノ一大学の文化祭は、俺も行ったことはない」
「そうなのですか」
「在学中は投資に興味があった。市場と数字ばかり見ていた」
「あなたらしいですね」
「サークルにも入らず、学祭も素通りだ」
妻は小さく笑う。
「なんだかもったいないですね」
「そうかもしれん」
少しの沈黙。
夫がふと妻を見る。
「今度、行くか」
「どこへ?」
「橋ノ一の文化祭。結と三人で」
妻の目がやわらかく開く。
「三人で?」
「ああ。少しのぞくだけだ」
「橋ノ一大学に?」
「嫌か」
「いいえ」
妻は首を横に振る。
「楽しそうです」
「お前、興味ないと言っていただろう」
「自分の大学のは、です」
少しだけ悪戯っぽい笑み。
「あなたの大学なら、見てみたいです」
夫はわずかに目を細める。
「何を見る」
「あなたが通っていた場所」
静かな声。
「結にも見せてあげたいです。パパが昔、ここにいたんだよって」
夫は一瞬、言葉を失う。
「……そうか」
「はい」
妻は布団に入りながら言う。
「楽しみができました」
「随分あっさり決めるな」
「だって、楽しそうだもの」
夫は照明を少し落とす。
「人が多いぞ」
「結が迷子にならないように、しっかり手を繋ぎましょう」
「俺が繋ぐ」
「私も繋ぎます」
夫は小さく笑う。
「三人で、か」
「ええ」
妻がそっと夫の腕に触れる。
「相馬さんと佐川も楽しんで、私たちも楽しむ。いい休日になりそうね」
夫はその手を軽く握る。
「……ああ」
静かな寝室。
窓の外には、秋の夜の気配。
それぞれの文化祭が、静かに予定に加わった夜だった。




