あなたの隣で、自分でありたい④
夜、寝室。
ベッドに、少し距離をあけて座る二人。
窓の向こうには、静かな都会の夜景。
しばらく無言が続いたあと——
夫が先に口を開く。
「……昨日は言い過ぎた」
低い声。
妻が視線を上げる。
「俺に従え、は……違った」
少し間を置いて続ける。
「感情的になった。すまない」
妻は小さく首を振る。
「私も、急に言ってしまったから……」
「いや」
夫は遮る。
「俺が悪い」
沈黙。
妻は膝の上で手を重ねる。
「でも……気持ちは変わらないの」
「……聞こう」
夫は真っ直ぐ見る。
「せめて、自分にかかるものだけは自分で賄いたいの」
「美容院や服か」
「ええ」
「俺の金ではだめか」
「だめじゃないですが......」
妻は静かに答える。
「あなたのお金を使うのが嫌なわけじゃない。ただ……自分の分を、自分で出せる自分でいたいの」
夫の視線が揺れる。
「外に出たいわけじゃないんです」
妻は続ける。
「居場所は、あなたの隣だけ」
はっきりと言う。
「他につながりが欲しいわけでもない。誰かと親しくなりたいわけでもない」
夫の胸がわずかに締まる。
「……本当か」
「本当です」
視線は逸らさない。
「あなたの隣にいる。それだけでいいの」
夫はゆっくり息を吐く。
「気持ちは、わかる」
低く言う。
「だが……他と接点を見出してほしくない」
正直な言葉だった。
「俺は独占欲が強い」
自嘲気味に笑う。
「自覚はある」
妻は静かに聞いている。
「お前が外に出て、他人と関わる。それを想像するだけで、落ち着かない」
拳を軽く握る。
「我儘だとも思う」
「……」
「だが、それが本音だ」
部屋に静かな緊張が漂う。
やがて夫が言う。
「佐川がメイドとしている」
「ええ」
「だが、食事の支度や結のことは、お前がしている」
「それは、妻として当然——」
「当然ではない」
夫の声が強くなる。
妻が驚く。
「当然じゃない」
繰り返す。
「俺は、感謝するべき立場だ」
沈黙。
夫は少し視線を落とす。
「家を守り、子を育て、俺を支えている。それは“当然”ではない」
「……」
「対価を払わせてくれ」
真っ直ぐな目。
「パートに出る代わりに、家の仕事への報酬として受け取れ」
妻は戸惑う。
「それは……」
「感謝だ」
少しだけ声が柔らぐ。
「俺からの」
静かな夜。
「金で縛りたいわけじゃない」
「……」
「だが、外に出るよりは、俺の感謝を受け取ってほしい」
言葉は不器用だが、必死だった。
「お願いだ」
命令ではない。
本当に、お願いだった。
妻はしばらく考える。
自分のため。
でも——
彼もまた、不安なのだ。
ゆっくり息を吐き、頷く。
「……わかりました」
夫がわずかに目を見開く。
「あなたが、そういう気持ちで言ってくれているなら」
「いいのか?」
「はい」
小さく微笑む。
「あなたが、寄り添って考えてくれたから」
夫の表情がわずかに緩む。
妻は続ける。
「ありがとう」
「……何に対してだ」
「私の気持ちを、ちゃんと聞いてくれて」
少し間を置き、
「寄り添ってくれて、ありがとう」
夫は何も言えず、ただ視線を逸らす。
夜景が静かに輝いている。
少しずつ、張り詰めていた空気が溶けていく。
二人の距離も、ほんのわずかに縮まっていた。




