あなたの隣で、自分でありたい③
次の朝
ダイニング。
朝の光が大きな窓から差し込む。
だが、空気は重い。
夫は新聞を広げているが、ほとんど読んでいない。
コーヒーにも手をつけないまま、無言。
妻は静かにパンを皿にのせる。
視線は合わない。
結が椅子に座り、きょとんと二人を見比べる。
「パパ」
「……なんだ」
「なんか、元気ない?」
夫は一瞬だけ動きを止める。
「そんなことはない」
「ほんと?」
「仕事のことを考えているだけだ」
結は首をかしげる。
「ふーん……」
妻がやわらかく微笑もうとするが、うまくいかない。
佐川が静かにスープを置く。
「奥様」
小声で耳元に近づく。
「……何か、ございましたか?」
妻は一瞬だけ視線を落とす。
「いいえ」
「ですが、旦那様が——」
「何もないの。大丈夫よ」
無理に微笑む。
佐川はそれ以上踏み込まない。
夫が立ち上がる。
「行ってくる」
「いってらっしゃい」
声が重なるが、目は合わない。
結が小さく手を振る。
「パパ、がんばってね!」
夫はほんの少しだけ柔らかい顔になる。
「ああ」
だが、すぐにいつもの無表情に戻った。
玄関のドアが閉まる。
静かな朝が残る。
⸻
その日の夜
帰宅後も、夫は口数が少ない。
夕食の席。
佐川が給仕を終え、少し離れた位置に立つ。
結がスプーンを止める。
「ねえ」
夫と妻が同時に見る。
「なに?」
「なんだ?」
結は真剣な顔をしている。
「パパとママ、けんかしてるの?」
一瞬、空気が凍る。
夫の眉がわずかに動く。
「なぜそう思う」
低い声。
結は少しだけ困った顔をする。
「だって……」
妻が優しく聞く。
「どうしてそう思ったの?」
「ふたりとも、ぜんぜん笑わない」
その言葉が、静かに突き刺さる。
夫と妻が、はっとする。
お互いを見る。
確かに、笑っていない。
夫が咳払いをする。
「……喧嘩はしていない」
「ほんと?」
結の目は疑っている。
妻が無理に笑顔を作る。
「本当よ。ちょっとね、考え事をしていただけ」
結はじっと二人を見る。
「ならいいけど……」
小さな声で言う。
「ママもパパも、笑ってるほうが好き」
その言葉に、夫の視線が落ちる。
妻の指先が、わずかに震える。
食事が終わり、結は佐川に連れられて寝室へ向かう。
「おやすみなさいませ、旦那様、奥様」
「おやすみ」
静かになったリビング。
夫と妻だけが残る。
しばらく無言。
そして——
夫が先に口を開く。
「……あとで改めて話をしよう」
妻は少し驚いたように見上げる。
「ええ」
「結の前で、ああいう顔はよくない」
「そうね……」
短い沈黙。
だが、今朝よりもほんの少しだけ、空気は柔らいでいる。
夜景が、静かに瞬いていた。
二人はそれぞれの思いを抱えたまま、夜を待つ。




