あなたの隣で、自分でありたい② 〜夫の胸の内〜
ドアを閉めたあとも、胸の奥がざわついていた。
(……言い過ぎた)
「俺に従え」——
あんな言い方をするつもりじゃなかった。
ソファに腰を下ろし、ネクタイを外す。指先に力が入る。
妻の顔が浮かぶ。
強がっていたが、確かに傷ついていた。
焦りだった。
パートに出たい、と言われた瞬間、胸の奥がひりついた。
金が足りないわけがない。
自分は十分以上に与えている。
それでも彼女は「自分で出したい」と言った。
(俺の金では足りないのか?)
違うとわかっている。
わかっているのに、胸がざわつく。
思い出す。
結婚当初——
「いくらか財産をお前名義にする」
そう言ったときのこと。
土地も、株も、預金も。
形式だけでもいい。安心のためだ。
だが彼女は、頑なに首を振った。
「いらない」
「なぜだ」
「あなたのものだから」
あのとき、少し腹が立った。
“信用していないのか”と。
だが違った。
彼女は、自分の立場をわきまえようとしていた。
“使用人だった過去”を引きずったまま、遠慮していた。
それを、わかっていながら——
今日また、同じことをしてしまった。
自分の名義にするのは拒む。
だが、自分で稼ぎたいと言う。
どちらも「依存しない」ための選択だ。
(俺から離れようとしているわけじゃない)
頭では理解している。
だが、感情が拒否する。
外に出る。
他人と接する。
知らない世界を知る。
そこに、自分の知らない彼女が生まれるかもしれない。
それが怖い。
自分は独占欲が強い。
それは認めている。
だが——
彼女は「外のつながりが欲しいわけじゃない」と言った。
あの目は嘘ではなかった。
ただ、不安なのだ。
“自分の分を自分で出せない”ことが。
それは、俺が守れていないという意味なのか?
いや、違う。
守られているだけの存在でいたくないのだ。
(俺は……)
拳を握る。
焦っている。
彼女が遠くに行く未来を勝手に想像して、
先回りして閉じ込めようとする。
あんな命令口調で。
「俺に従え」
……違う。
本当は、
「離れるな」
そう言いたかっただけだ。
彼女が自分の手の届く範囲から出ていくことが怖い。
財産を渡そうとしたのも、縛るためじゃない。
“俺の隣にいる理由”を形にしたかっただけだ。
だが彼女は、それを受け取らなかった。
そして今も、自分の力で立とうとしている。
(強いな……)
悔しいほど。
そして、誇らしいほど。
それでも。
それでも手放したくない。
言い過ぎたとわかっている。
だが、どう言い直せばいいのかがわからない。
夜の静寂の中、夫は目を閉じた。
明日、どう向き合うべきか。
焦りだけが、胸の奥で燻っていた。




