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雨のち晴れ  作者: ありり
203/311

思い出を選ぶ夜

数日後の夜。


仕事を終えた夫は、ネクタイを外し、ソファーに腰を下ろしていた。

手元にはタブレット。


真剣な顔で、何度もスワイプしている。


そこへ、キッチンから妻がやってくる。


「何をそんなに真剣に見ているんですか?」


夫は視線を上げずに答える。


「写真だ」


「旅行の?」


「ああ」


妻は隣に腰を下ろす。


「どれを写真立てに入れるか、まだ決めていない」


「まだ悩んでいるの?」


「当然だ。重要な任務だ」


妻はくすっと笑う。


「どれも良いと思いますけど」


画面を覗き込む。


高山の街並み。

飛騨牛串を頬張る結。

新幹線でしりとりをしている夫と結。


「懐かしいですね。まだ数日前なのに」


「あっという間だったな」


さらにスワイプ。


白川郷の全景。

高台で撮った写真。


「これは、あなたが言葉を失っていたときですね」


「……覚えているのか」


「もちろん」


また指を動かす。


そして。


「あ」


妻が固まる。


そこに映っているのは、帰りの新幹線で眠る結と――その隣で眠る自分。


「……」


次の写真。


また別角度。


さらにもう一枚。


「ちょっと待ってください」


夫は平然としている。


「何だ」


「いつ撮ったんですか、これ」


「帰りの新幹線」


「そんなに撮ってました?」


「数枚だ」


妻は拡大する。


そして。


「……」


一枚には、口がわずかに半開きの自分。


「消してください」


即答。


「なぜだ」


「なぜって……口、開いてるじゃないですか」


夫は画面を見つめる。


「確かに」


「拡大しないでください!」


夫の口元がわずかに上がる。


「幸せそうに寝ている」


「幸せそうでも、これはダメです」


「これも思い出だ」


「思い出でも、これは恥ずかしい」


夫は淡々と言う。


「これを写真立てに入れるか」


「絶対にやめてください」


「構図は悪くない」


「意地悪ですね」


「事実を記録しているだけだ」


妻は腕を組む。


「消してください」


「消さない」


「お願いします」


「却下だ」


しばらくにらみ合い。


やがて妻がため息をつく。


「本当に残すつもりですか」


「もちろん」


「……ずるい」


「何がだ」


「あなたの寝顔は撮らせてくれないのに」


夫は一瞬止まる。


「撮ればいい」


「本当ですか?」


「.......ああ」


二人の間に小さな笑いが広がる。


夫は画面を元に戻す。


そして、あの一枚で止まる。


老夫婦に撮ってもらった三人の写真。


紅葉を背景に、結を抱く夫。

隣で寄り添う妻。


自然な笑顔。


「……やっぱり」


妻が小さく言う。


「これですね」


夫も静かに頷く。


「ああ」


「三人ちゃんと写ってるし」


「結の表情もいい」


「あなたも、珍しく柔らかい顔している」


「そうか?」


「はい」


夫はしばらくその写真を見つめる。


(あの瞬間だな)


言葉が出なかった景色。


妻の「おめでとう」。


結の笑顔。


「これにする」


「決まりですね」


夫はテーブルの上に置いていた写真立てを手に取る。


プリントアウトし、丁寧に写真を差し込み、立てる。


夜景を背に、三人の写真が飾られる。


妻が静かに言う。


「本当に楽しかったですね」


「ああ」


「また行きたいです」


「行こう」


即答。


妻が笑う。


「次はどこにします?」


夫は写真を見つめたまま言う。


「どこでもいい」


「適当ね」


「お前が考えるなら、どこでもいい」


妻は少し照れたように視線を落とす。


「……またミステリーツアーにしますよ?」


「望むところだ」


そして。


妻がもう一度言う。


「口が開いてる写真は、絶対に使いませんからね?」


夫は真顔で答える。


「検討中だ」


「やめてください」


二人の笑い声が、夜のリビングに静かに溶けていく。


テーブルの上には、白川郷の家族写真。


それは、これから増えていく思い出の、最初の一枚だった。


挿絵(By みてみん)


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