35歳、満ち足りた帰路②
夕刻。
タワマンのエントランスに三人が姿を現す。
「ついたー!」
結が元気に言う。
夫がボストンバッグを持ち、妻は荷物を抱える。
エレベーターが最上階に到着する。
扉が開くと、すでに玄関で待っていた佐川が静かに一礼する。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
夫が穏やかに答える。
妻も微笑む。
「留守をありがとう」
結がぱっと駆け寄る。
「さがわー!」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
結はリュックを開け、ごそごそと取り出す。
「これ!」
両手で差し出す。
「クッキー! しらかわごうのおみやげ!」
佐川は目を細める。
「まあ……私にですか?」
「うん!」
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
結は胸を張る。
「えらいでしょ!」
「とても」
夫が小さく笑う。
「真剣に選んでいたからな」
佐川はクッキーの箱を丁寧に受け取り、再び一礼する。
「皆様、お疲れではございませんか?」
「少しな」
夫が肩を回す。
「でも、いい疲れだ」
妻も頷く。
「本当に良い旅だったわ」
佐川が優しく言う。
「旦那様、お誕生日おめでとうございました」
「ありがとう」
「次は結お嬢様のお誕生日ですね」
佐川が微笑む。
「三月でしたね」
結が首を振る。
「ちがうよ!」
「え?」
「つぎは、さがわのたんじょうび!」
佐川が目を瞬く。
「……私ですか?」
「うん! さがわ、にがつでしょ!」
「よく覚えていらっしゃいますね」
「ちゃんときいたもん!」
妻が驚きつつも微笑む。
「そうね、二月だったわね」
夫も思い出す。
「そういえば」
結が両手を広げる。
「さがわも、おいわいする!」
「……」
佐川は一瞬言葉を失う。
「お嬢様、私はそのような……」
「だめ!」
結がきっぱり言う。
「みんな、たんじょうびあるでしょ?」
夫が静かに口を開く。
「その通りだ」
佐川が夫を見る。
「旦那様……」
「祝われるのは悪くない」
妻が優しく続ける。
「家族みんなで、ね」
佐川の表情が少し揺れる。
「私は……」
結が佐川の手を握る。
「さがわも、だいじ!」
その一言で。
佐川の目が少し潤む。
「……ありがとうございます」
小さな声。
夫が静かに言う。
「二月だな」
「はい」
「予定を空けておけ」
「……はい」
妻が笑う。
「ケーキも用意しましょうか」
「いちごいっぱいの!」
「はいはい」
リビングへと移動する。
ボストンバッグを開け、荷物を出しながらも、家の空気がどこか温かい。
夫はふと立ち止まる。
白川郷の静けさ。
山の空気。
紅葉。
そして今。
自宅の灯り。
家族の声。
(帰る場所がある)
それが、何よりの幸せだと実感する。
結が佐川の腕にぶら下がる。
「さがわ、にがつ、たのしみにしててね!」
「はい、お嬢様」
夫が妻を見る。
「次は二月か」
皆が笑う。
旅行は終わった。
だが。
家族の時間は、まだ続いていく。
夫は静かに思う。
35歳の誕生日。
最高の時間だった。
そしてその余韻は、
こうして日常の中に溶けていく。
「……ただいま」
改めて小さく呟く。
「お帰りなさいませ」
佐川の声。
結の笑い声。
妻の穏やかな眼差し。
そのすべてに包まれながら――
楽しい旅行は幕を閉じた。




