表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨のち晴れ  作者: ありり
197/311

旅の目的地、白川郷①

高山駅前のバスターミナル。


「まもなく白川郷行き、高速バスが発車いたします」


アナウンスが流れる。


妻が結の手を引く。


「どこいくの? まだひみつ?」


妻は少しだけ間を置いて、微笑む。


「ここで、発表します」


夫が静かに視線を向ける。


「今回の目的地は――白川郷です」


「白川郷……」


夫がゆっくりと繰り返す。


「テレビで見たことはある」


「世界遺産の、あの?」


「そう」


結が目を輝かせる。


「おうちがとんがってるとこ!?」


「そうよ」


夫が小さく息を吐く。


「初めてだ」


妻が少し照れたように言う。


「ずっと、あなたと来てみたかったんです」


結が夫を見上げる。


「パパ、たのしみ?」


夫は一瞬、真顔のまま考えたふりをして。


「……ああ」


そして少しだけ口元を緩める。


「パパもワクワクしている」


「ほんと!?」


「本当だ」


結は大満足でバスに乗り込む。



約50分。


山道を進むバスの窓から、紅葉が広がる。


赤、橙、黄色。


「きれい……」


妻が小さく呟く。


夫も外を見る。


(都会では見られない色だ)


結は窓に張り付いている。


「やま! いっぱいやま!」


「もうすぐだ」


やがてバスがゆっくりと減速する。


「まもなく白川郷でございます」


ドアが開く。


一歩外に出た瞬間、空気が違う。


「……澄んでる」


夫が無意識に言う。


ひんやりと透明な空気。


遠くに広がる合掌造りの屋根。


まだ見頃の紅葉が、山を彩っている。


「わあああ……」


結が声を上げる。


「ほんものだ……」


妻は静かに夫の横に立つ。


「少し歩きましょう。全体が見える場所があるんです」


三人で坂道を上る。


木々の間を抜け、少し高台へ。


「もうすぐよ」


夫は無言で歩く。


そして――


視界が一気に開ける。


合掌造りの家々が点在する村。

川が流れ、紅葉に囲まれた景色。


まるで絵画のような風景。


「……」


夫は立ち止まる。


言葉が出ない。


ただ、見つめる。


「パパ?」


結が不思議そうに見上げる。


夫はゆっくり息を吐く。


「……すごいな」


それだけだった。


しばらく、本当に声が出なかった。


妻はその横顔を見つめる。


都会でいつも冷静な夫。

滅多に感情を表に出さない人。


その人が、ただ景色に見入っている。


妻はそっと言う。


「お誕生日、おめでとう」


静かな風が吹く。


夫はゆっくりと妻を見る。


「……今日だったな」


「はい。35歳」


結が元気に言う。


「パパ、おたんじょうびおめでとう!」


小さな手が夫のコートを引く。


夫はしゃがみ、結を抱き上げる。


「ありがとう」


そして妻を見る。


「……ここを選んだのか」


「あなたに、この景色を見せたくて」


夫はもう一度、村全体を見渡す。


(これを、俺のために)


胸の奥が熱くなる。


35歳。


仕事に追われ、責任に追われる日々。


だが今。


隣には妻。

腕の中には娘。


そして目の前には、息をのむ景色。


「……来てよかった」


夫は静かに言う。


「本当に」


妻の目が少し潤む。


「喜んでくれました?」


夫は小さく笑う。


「言葉が出なかっただろう」


「はい」


「それが答えだ」


結が両手を広げる。


「パパ、ここすごいね!」


「ああ」


夫は娘を抱いたまま、景色を見つめる。


(俺は、十分すぎる)


35歳の誕生日。


妻と娘に祝われ、

この景色の中に立っている。


夫はその喜びを、静かに噛み締めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ