内緒の行き先④
高山駅。
列車を降りると、ひんやりと澄んだ空気が頬に触れる。
「さむっ」
結が小さく肩をすくめる。
「山の空気だからな」
夫が静かに言う。
駅舎の外に出ると、空が広い。
夫が周囲を見渡す。
「……ここか?」
妻はにやりと笑う。
「ここも通過点です」
「まだ先があるのか」
「はい。このあと高速バスに乗ります。でも発車まで2時間ほどあるので」
少しだけ得意げに続ける。
「高山を散策しましょう」
「さんさく?」
「お散歩しながら観光よ」
結がぱっと明るくなる。
「いくー!」
駅前から少し歩く。
やがて、古い町並みが現れる。
黒い格子戸。
木造の建物。
軒先に吊るされた杉玉。
「わあ……」
結が立ち止まる。
「おうち、なんかちがう!」
「東京とは全然違うだろう」
夫も足を止める。
(……確かに)
高層ビルも、ガラス張りの建物もない。
時間がゆっくり流れているような街。
「驚きましたか?」
妻が横から覗き込む。
「正直に言えば、少しな」
夫は素直に答える。
「初めて来た」
「そうでしょうね」
妻は少し嬉しそうに微笑む。
「私、昔一人旅で来たことがあるんです」
夫は静かに頷く。
「その時、この街並みがすごく好きになって」
木の香りが漂う通りを見渡す。
「いつか、あなたを案内したいと思っていました」
夫は一瞬、妻を見る。
「……そうか」
それ以上は何も聞かない。
ただ、その“いつか”が今日になったことを受け止める。
「おなかすいた!」
結が元気に言う。
ちょうど香ばしい匂いが漂ってくる。
「飛騨牛串焼き」
看板が目に入る。
「食べてみましょうか」
「ゆい、おにくたべる!」
串を受け取る。
夫が一口かじる。
「……」
噛む。
「美味い」
思わず漏れる。
「さっきもそれ言いましたね」
「事実だ」
結も小さくかじる。
「あつっ……でもおいしい!」
頬をふくらませながら笑う。
少し歩くと、今度はコロッケの店。
「これも食べたい!」
「さっき肉を食べただろう」
「べつばら!」
妻が笑う。
「一つを三人で分けましょう」
揚げたてを受け取る。
サクッという音。
「おいしい……」
結が目を閉じる。
夫も頷く。
「歩きながら食べるのも悪くないな」
「でしょ?」
妻は楽しそうだ。
町並みをゆっくり歩く。
小さな酒蔵、土産物屋、和菓子店。
「なんか、えどじだいみたい!」
結が言う。
「そうね、昔の雰囲気が残っているの」
夫は周囲を見渡しながら言う。
「確かに、東京とはまるで違う」
高層ビルも、車のクラクションもない。
木造の建物が並び、足音が柔らかく響く。
「どうですか?」
妻が少し緊張したように聞く。
「……悪くない」
「悪くない、ですか」
「いや」
少し間を置いて。
「いい街だ」
妻の目がわずかに柔らぐ。
「よかった」
結が二人の間に割って入る。
「つぎ、なにたべる!?」
「まだ食べるのか」
「さんさくって、たべあるきでしょ?」
夫と妻が同時に笑う。
時計を見る。
「あと1時間半ほどあります」
「十分だな」
夫は静かに思う。
(ここも通過点か)
だが、もうすでに十分楽しい。
妻が昔好きになった街。
それを今、自分たち家族で歩いている。
それだけで、意味がある。
秋の風が通りを抜ける。
三人はゆっくりと、
木の香り漂う高山の街並みを歩き続けた。




