妻計画のミステリーツアー②
数日後の夜。
リビングには、旅館の予約確認メールが表示されたノートパソコン。
妻は満足げに画面を閉じた。
「風情ある旅館……囲炉裏もあるし、温泉もある。よし」
背後から低い声。
「決まったのか」
振り向くと、ネクタイを緩めた夫が立っている。
「ええ」
「どこだ」
「それは秘密です」
即答。
夫は小さく息を吐く。
「相変わらず徹底しているな」
「ミステリーツアーですから」
その時、ソファで絵本を読んでいた結が顔を上げる。
「みすてりーってなに?」
妻が微笑む。
「どこに行くか、当日までナイショってことよ」
「ええー! いいなぁ!!」
結はぴょんと立ち上がる。
「どこ? 海? ゆき? おっきいお城?」
「秘密」
「えー!!」
はしゃぐ娘を見て、夫の口元もわずかに緩む。
「……交通手段は」
夫が落ち着いた声で尋ねる。
「車か?」
「いいえ」
妻は少しだけ得意げに答える。
「電車です」
「電車?」
「ええ」
夫は眉を上げる。
「俺が車を運転してもいい。あるいは運転手をつける」
当然のような提案。
だが妻は首を横に振る。
「今回は、家族だけの空間にしたいんです」
「……」
「それに」
少し柔らかく続ける。
「あなたと電車に乗ることなんて、滅多にないでしょう?」
夫は言葉を失う。
確かにそうだ。
移動はほとんど社用車か自家用車。
電車など何年乗っていないか分からない。
「電車に揺られて、お弁当食べたり、景色を見たり……その時間も楽しみたいんです」
結が目を輝かせる。
「でんしゃ!? ほんと!? ゆい、まどがわがいい!」
「わかったわ」
「やったー!!」
ソファの上でぴょんぴょん跳ねる結を、夫が片手で支える。
「落ちるぞ」
「パパもでんしゃのるの?」
「……乗るらしいな」
「わーい!!」
結は夫に抱きつく。
夫は娘を抱き上げながら、妻を見る。
「本当に電車でいいのか。混むかもしれないぞ」
「それも含めて思い出です」
静かな決意のある声。
「あなたは、いつも時間に追われているでしょう?」
「……」
「その日くらい、ただ家族で移動する時間を味わってほしいんです」
夫はしばらく黙る。
そして小さく息を吐いた。
「……分かった」
結が嬉しそうに叫ぶ。
「みすてりーでんしゃりょこう!」
その様子を、少し離れた場所から佐川が見ていた。
「奥様、当日はお荷物のご準備をお手伝いしましょうか」
「ありがとう。でもその日は休みにしてもいいのよ?」
妻が優しく言う。
「せっかくだし」
佐川は静かに首を振る。
「いいえ。私は勤めております。皆様のご帰宅を、お待ちしております」
夫が佐川を見る。
「無理はするな」
「はい、旦那様」
妻が少しだけ微笑む。
「じゃあ、お土産をたくさん買ってくるわね」
「楽しみにしております」
結が両手を広げる。
「さがわにも、おみやげかう!」
「ありがとうございます、お嬢様」
リビングに笑い声が広がる。
夫はその光景を見渡し、静かに思う。
(電車か……)
普段なら選ばない移動手段。
だが、妻が「家族だけの時間」と言った言葉が、胸に残る。
「当日は、俺も荷物を持つ」
「当然です」
即答する妻。
「……強いな」
「ふふふ」
夫は苦笑する。
行き先はまだ知らない。
だが、もう楽しみになっている自分がいる。
電車に揺られ、妻とはしゃぐ結。
その光景を想像しながら、夫は静かに決意する。
(誕生日だが……一番の贈り物は、あいつが作るこの時間だな)
リビングの灯りの下、
家族三人の秘密旅行は、静かに準備が進んでいた。




