初めての運動会③
運動会もいよいよ終盤。
アナウンスが響く。
「最後の競技、年少クラス・親子おんぶリレーです!」
園庭が一段と盛り上がる。
妻はすでに大玉転がしを終え、ほっとした表情で夫を見る。
「あなた、無理しないでくださいね」
「無理はする」
即答。
「でも転ばない」
「矛盾してるわ」
「計算の上での無理だ」
妻は呆れ半分、心配半分でため息をつく。
「本当に怪我だけはしないでくださいよ。結を背負っているんですから」
「わかっている」
結が夫の袖を引っ張る。
「パパ、いこ!」
「行くぞ」
スタート位置へ向かいながら、結が言う。
「パパ、だっこはよくしてくれるけど、おんぶひさしぶりだね」
夫は一瞬考え、頷く。
「……そうだな。最近は抱っこが多かった」
「きょうはおんぶなんだね!」
「特別だ」
夫はしゃがみ、背中を向ける。
「ほら」
結がよじ登る。
小さな腕が首に回る。
「よいしょ……」
背中に感じる重み。
――重くなった。
ふと、心の中で思う。
ついこの前まで、片手で軽々持ち上げられたのに。
「大きくなったな」
小さく呟く。
「なに?」
「なんでもない」
いつまでこうして背負えるだろう。
いつまで「パパ、おんぶ」と言ってくれるだろう。
ほんの一瞬、胸がじんわりと熱くなる。
結がぎゅっとしがみつく。
「パパ、がんばろうね!」
夫はわずかに微笑む。
「ああ。頑張ろう」
スタートライン。
妻が少し離れた場所から手を振る。
「転ばないでくださいよー!」
「言われなくても」
「本気出しすぎないでください!」
「善処する」
「善処じゃなくて守ってください!」
結がくすくす笑う。
「ママ、しんぱいしすぎ!」
ピストルの音。
「よーい、スタート!」
前の組が走り出す。
そして――
「次!」
結たちの番。
「行くぞ!」
夫は一歩踏み出す。
地面をしっかり踏みしめ、加速。
颯爽と駆ける。
「パパ、はやい!」
結が背中で弾む。
「しっかりつかまっていろ」
「うん!」
園庭の歓声が遠くに聞こえる。
その中でも、ひときわよく通る声。
「あなたー!がんばって!」
妻の声だ。
思わず口元が緩む。
――ああ。
背中の温もり。
前から聞こえる声援。
空は青く、風は心地いい。
――幸せだな。
心の底から、そう思う。
ゴールが近づく。
「もうちょっと!」
「いける!」
最後の数歩、力強く踏み込み――
「はい、バトンタッチ!」
次の親子へタッチ。
夫はゆっくりと減速し、しゃがむ。
「どうだった」
結が背中から降りるや否や、満面の笑みで言う。
「パパ、はやかった!」
「そうか」
「びゅーっていった!」
妻が駆け寄ってくる。
「すごかったですよ」
「当然だ」
「……かっこよかったです。ちょっと惚れ直しました」
夫が一瞬、視線を逸らす。
「そういうことは人前で言うな」
耳がわずかに赤い。
妻はくすっと笑う。
「照れてる?」
「照れていない」
結が両手を広げる。
「パパもママもいっしょにでれて、うれしかった!」
夫と妻が顔を見合わせる。
妻が結を抱きしめる。
「ママも嬉しかった」
夫も結の頭を撫でる。
「良い運動会だったな」
結がぱっと思い出す。
「あ!おうちかえったらね、さがわにビデオみせたい!」
「そうだな」
夫はビデオカメラを軽く持ち上げる。
「全て撮ってある」
妻が慌てる。
「ちょっと待って。大玉転がしのところは……」
「カットはしない」
「転びかけたところも?」
「全部観る」
「編集という文化をご存知ですか?」
「ありのままがいい」
結が笑う。
「ママ、すごかったよ!」
妻は少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑う。
「……じゃあ、全部でいいです」
夫が小さく頷く。
「今日の記録だ」
秋の陽射しの中。
三人の影が並んで伸びる。
手をつなぎながら、家路につく。
運動会の余韻と、確かな幸福を胸に抱きながら。




