もう一度、あなたと手をつなぐ①
休日の午後。
タワマンの高層階、柔らかな陽が差し込むリビングのドアが開いた。
「ただいまー!」
元気いっぱいの声とともに、結が駆け込んでくる。その後ろで、夫が静かに靴を脱ぐ。今日は珍しくネクタイもなく、オフの装い。それでもどこか隙のない佇まいは相変わらずだった。
「パパね、ゆいとずーっと手つないでくれたの!」
誇らしげに言う結。
妻はキッチンから顔を出し、微笑む。
「そう。楽しかった?」
「うん!ブランコもすべりだいも!パパ、ぜんぶいっしょ!」
夫は少し肩をすくめる。
「結が離さなかっただけだ」
「うそー!パパもぎゅってしてた!」
無邪気な暴露に、夫は咳払いをひとつ。
その様子を、少し離れた場所から佐川が穏やかに見ていた。
「お嬢様、まずは手をお洗いしましょう」
「はーい!」
結は佐川と手を繋ぎ、洗面所へ向かう。
リビングに、ふと静かな空気が落ちる。
妻はカウンターに手を置いたまま、少しだけ視線を落とした。
そして、意を決したように夫を見上げる。
「ねぇ……」
「どうした」
「……久しぶりに、あなたと手を繋いで歩きたいなって」
一瞬、時間が止まった。
夫の表情が、わずかに固まる。
「……は?」
珍しく間の抜けた声。
妻は少し照れながらも、視線を逸らさない。
「ほら、結とはよく繋いでるでしょ?でも……私とは、最近あまりないなって」
夫は目を逸らし、窓の外を見た。
耳がほんのり赤い。
「……急に何を言い出す」
「だめですか?」
その一言に、胸の奥が強く打たれる。
(だめなわけがないだろう……)
内心では、驚くほど嬉しかった。
自分からではなく、彼女から求められることが、こんなにも。
だが、素直に頷くには、少しだけ照れが勝つ。
「……外でか?」
「うん」
「人目もある」
「気にします?」
少しだけ挑発的な目。
夫は静かに息を吐く。
「……明日」
「え?」
「明日、会社に行く時間を遅らせる。結の送りを一緒に行こう」
妻の目が大きくなる。
「そのあと……少し公園を歩くか」
さらりと言ったつもりだった。
だが、声がわずかに低く、柔らかい。
妻の顔がぱっと明るくなる。
「ほんとですか?嬉しい!」
その無邪気な反応に、夫の心拍が一段跳ねる。
「……そんなに喜ぶことか」
「だって、あなたとふたりで歩くなんて久しぶりだもの」
夫は視線を逸らし、腕を組む。
(嬉しいのは、俺のほうだ)
結婚してからも、何年経っても。
彼女に「一緒に」と言われるたび、胸が熱くなる。
洗面所から結の声が響く。
「ママ!あしたもパパとようちえんいくの?」
妻は笑いながら答える。
「そうよ、みんなで行くの」
「やったー!」
夫は小さく息をつき、妻のそばに歩み寄る。
「……寒くない格好をしろ」
「心配してくれるの?」
「当然だ」
一瞬の沈黙。
そして、ほんのわずかに――夫の手が、妻の指先に触れる。
触れただけ。
けれど、確かにそこに意思があった。
妻は目を細める。
「ありがとう」
「……まだ早い」
「明日が楽しみ」
そう言って微笑む妻を見て、夫はもう一度視線を逸らした。
(俺もだ)
こんなにも単純な願いで、心が満たされるとは思わなかった。
翌朝の光景を思い浮かべる。
結を送り届けたあと、人目を気にせず彼女の手を握る自分。
指を絡める。
彼女が寄り添う。
きっと、また照れるだろう。
それでもいい。
「……今日は早く休め」
「うん」
洗面所から走ってくる結を抱き上げながら、夫は静かに決意する。
明日は、ちゃんと握ろう。
誰よりも自然に、当たり前のように。
そしてまた、彼女が嬉しそうに笑う顔を見よう。
照れながらも、心の奥では確かに浮かれている夫だった。




