八年目の花嫁と、四年目の居場所
数日後――
八月末の挙式まで、あとわずか。
リビングには、静かな高揚感が漂っていた。
結婚八年目にして、ようやく挙げる式。
参列者は四人だけ。
夫。
妻。
結。
そして――佐川。
夫のタキシードは既に仕立て済み。
妻のウェディングドレスも決まっている。レンタルではない。二人で選び、購入した一着だ。
結も、小さなドレスを用意してある。
あとは――佐川だけだった。
⸻
午後。
「佐川」
低い声に、すぐに姿勢を正す。
「はい、旦那様」
リビングには夫と妻が並んで立っている。
結はソファに座り、何かを察しているのか静かだ。
テーブルの上に、白い包み。
妻が柔らかく言う。
「少し、時間いい?」
「はい」
夫が短く言う。
「受け取れ」
佐川は包みを両手で持つ。
「……これは?」
「開けてみて」
丁寧にほどく。
中から現れたのは、上品で美しいワンピースだった。
淡い色味。控えめな光沢。
派手ではないが、明らかに“特別な日の服”。
佐川は言葉を失う。
「……」
夫が静かに言う。
「挙式に着ろ」
「……私が?」
妻が頷く。
「ええ。参列するのだから」
佐川の呼吸が浅くなる。
「ですが……私は……」
「四年」
夫が言う。
「この家に来て、約四年だ」
「……はい」
「四年間、家を支えた」
妻が続ける。
「結が小さい頃から、ずっと一緒だったでしょう?」
結がぱっと顔を上げる。
「さがわ、ずっといるよ!」
佐川の目が潤む。
「でも……ご家族だけの式では……」
夫がきっぱりと言う。
「家族だけだ」
佐川が顔を上げる。
「……」
「お前も含めてだ」
その一言は、静かで揺るがない。
妻が少し笑う。
「あなたがいなければ、ここまで穏やかに迎えられなかったわ」
「奥様……」
「だから一緒に立ってほしいの」
佐川の指が、ワンピースの生地を強く握る。
「……よろしいのですか」
「当然だ」
夫の即答。
「その服で参列しろ」
結が笑う。
「いっしょにしゃしんとろうね!」
その無邪気な声に、ついに涙が溢れた。
「……っ」
慌てて顔を伏せる。
「申し訳、ありません……」
「謝らないで」
妻が優しく言う。
「嬉しいのよね?」
佐川は何度も頷く。
「はい……とても……」
四年前。
何も失った状態でこの家に来た。
肩書きも、家も、過去も。
ただ「働く場所」として足を踏み入れたはずだった。
けれど今――
夫が言う。
「泣くほどか」
わずかに柔らかい声音。
佐川は涙を拭きながら笑う。
「……はい。泣きます」
妻が微笑む。
「当日は、私のドレス姿、ちゃんと見てね」
「はい」
「似合うと思う?」
「ええ、とても」
夫が淡々と補足する。
「俺も妥協はしていない」
「知っています」
佐川は少し笑う。
その瞬間、胸の奥に、ある言葉がよぎる。
――幸せにな。
北海道の白い病室。
かすれた声。
佐川は、その言葉を誰にも言わない。
ただ胸の中で、そっと反芻する。
(……なれています)
誰にも聞こえない心の声。
(私は、今、幸せです)
結がワンピースを指さす。
「さがわ、きれい!」
「ありがとうございます」
夫が最後に言う。
「当日は隣に立て」
命令の形をした、信頼。
佐川は深く頭を下げる。
「はい、旦那様」
顔を上げたとき、涙は止まっていた。
この家に来て四年。
仕える家だった場所は、いつの間にか――帰る場所になっていた。
八年目の挙式。
その隣に、自分の居場所がある。
佐川はワンピースを胸に抱きしめながら、静かに思う。
(私は、今、幸せだ)
それは誰にも告げない、確かな事実だった。




