元夫と再会、これから②
北の空の下で
北海道の空気は、冷たく乾いていた。
空港から病院へ向かう車内は、言葉が少ない。
窓の外に広がる灰色の空が、どこか現実味を薄めていた。
「……大丈夫ですか」
相馬が静かに問う。
「大丈夫です」
即答だったが、声はわずかに硬い。
「無理はなさらず」
「無理はしません。今日は……終わらせに来ましたから」
相馬はそれ以上は言わない。
⸻
病院・病室前
白い廊下。消毒液の匂い。
扉の前で、佐川は一度だけ深く息を吸った。
「入ります」
相馬が小さく頷く。
扉が開く。
⸻
病室
痩せこけた男が、ベッドの上でこちらを見た。
頬はこけ、肌は青白い。
それでも口元だけが、かすかに笑う。
「……珍しい客人だな」
視線が佐川を捉える。
「惠」
その呼び方に、空気がわずかに凍る。
相馬は一歩、後ろに控える。
元夫は相馬を見た。
「新しい旦那か?」
佐川は即座に言う。
「違います」
相馬は穏やかに微笑む。
「友人ですよ」
それ以上は言わない。
元夫は小さく鼻で笑う。
「そうか……」
沈黙が落ちる。
やがて佐川が口を開いた。
「あなたのせいで、私は二億の借金を背負いました」
元夫の目がわずかに揺れる。
「家は没落しました」
「……ああ」
「保証人になったのは私です」
静かな声。
「そして今、私はメイドとして生計を立てています」
元夫は視線を天井に向ける。
「不幸にさせたな、惠」
「ええ」
即答だった。
「恨みは消えません」
病室の空気が重くなる。
「でも」
佐川の声は揺れない。
「私は、今は幸せです」
元夫がゆっくりと目を向ける。
「……俺と違って、か」
「そうです」
間を置かずに答える。
「あなたと違い、私は幸せです」
その言葉は静かだが、刃のようだった。
元夫の口元が歪む。
「当てつけか」
「はい」
佐川はまっすぐに言う。
「当てつけです」
相馬は微動だにしない。
元夫はかすかに笑う。
「正直だな、惠」
「嘘をつく理由がありません」
「俺が不幸だからか」
「あなたがどうであれ、私の幸せは変わりません」
沈黙。
佐川は続ける。
「私は苦しい時期もありました」
「……」
「でも今は、帰る場所があります」
元夫の視線が揺れる。
「仕えている家が、私の帰る場所です」
その一言に、確かな重みがあった。
元夫はゆっくり息を吐く。
「……そうか」
かすれた声。
「俺は何も残らなかった」
「そうでしょうね」
冷たい言葉だが、怒鳴りはしない。
ただ事実を述べる。
しばらくの沈黙のあと、佐川は一歩下がる。
「これで終わりにします」
元夫は目を閉じる。
「惠」
佐川は足を止める。
「幸せにな」
その声は、さきほどよりも弱かった。
佐川は振り返らない。
何も言わない。
ただ扉へ向かう。
⸻
病室の外
扉が静かに閉まる。
その瞬間、佐川の目から一筋の涙が零れた。
拭わない。
相馬が隣に立つ。
「……これでよろしいのですか」
佐川は数秒、何も言わない。
そして小さく頷く。
「はい」
声は震えていない。
「終わりました」
「後悔は」
「ありません」
もう一度、頷く。
「恨みは消えません。でも……未練もありません」
相馬は静かに言う。
「では帰りましょう」
「はい」
歩き出す二人。
白い廊下を進む足音が、静かに響く。
佐川は前だけを見る。
涙はもう流れていない。
北の空の下、
ひとつの過去が、確かに閉じられた。




