突然の知らせ④
静かな命令と、守るという約束
タワマン最上階。
昼の光は柔らかいのに、空気だけが重かった。
リビングの中央で、妻は立ち尽くしている。
指先がわずかに震えていた。
夫は一度だけ佐川を見た。
「……佐川」
低く、静かな声。
「はい」
「結を連れて外へ出ろ。今日はお前が面倒を見ろ」
佐川は一瞬だけ妻を見つめ、深く頭を下げた。
「承知いたしました」
夫は娘に視線を落とす。
「結。今日は佐川とデートだ」
「ほんと? パパは?」
「ママと話がある」
幼い娘は何も知らず、笑顔で頷いた。
玄関の扉が静かに閉まる。
部屋には、二人だけが残った。
⸻
寝室
夫は妻の肩に手を添える。
「来い」
抵抗はない。ただ、足取りが重い。
寝室のドアが閉まった瞬間、妻の呼吸が乱れた。
「……あの人が」
夫は黙って向かい合う。
「私を壊した男が……また、どこかで生きているって思うだけで……」
声が震える。
「……怖いの。恨んでる。でも……怖い」
夫は何も遮らない。
「佐川の元夫……あの過去が、またここに入り込んでくるんじゃないかって……」
涙が溢れた。
「もし……佐川が情に流されて……この家に連れてきたら……?」
夫の目がわずかに細くなる。
「ない」
即答だった。
「俺が許さない」
妻は息を呑む。
夫は両手で妻の手を包み込む。強く、確かに。
「この家に、過去は入れない」
親指で涙を拭う。
「お前を壊した男、佐川の元夫は入れさせない」
妻は嗚咽をこらえきれなくなる。
「……でも、怖い……」
夫はそのまま抱き寄せた。
強く、だが壊さぬように。
「怖がるなとは言わない」
低い声が、胸越しに響く。
「だが、お前は一人じゃない」
髪に口づける。
「俺がいる」
妻は胸に顔を埋めた。
「……本当に?」
「ああ」
少し間を置き、さらに低く。
「誰も、お前に触れさせない」
⸻
数十分後
インターホンが鳴る。
相馬は予定よりも早く到着していた。
書斎。
夫は立ったまま。
相馬は一礼。
「お呼びでしょうか」
「北海道へ行く件だ」
「はい」
「佐川に同行しろ」
相馬の表情は変わらない。
「承知しました」
夫の視線は冷たい。
「元夫の状態を確認しろ」
「はい」
「害があるかどうか。未練、逆恨み、金銭要求、接触の意思。すべて把握しろ」
相馬は即座に答える。
「情報は即時ご報告いたします」
夫は机に指を置く。
「もし――」
一瞬、空気が張りつめる。
「佐川自身が、この家に影響を及ぼす可能性があると判断した場合」
相馬の瞳がわずかに鋭くなる。
「速やかに連絡を」
「はい」
「独断はするな。必ず俺に報告だ」
「承知しております」
沈黙。
そして、相馬は静かに付け加えた。
「奥様のご心労は」
夫は視線を逸らさない。
「俺が処理する」
その一言で十分だった。
相馬は深く頭を下げる。
「全力でお守りいたします」
「頼む」
扉が閉まる。
⸻
寝室へ戻る
妻はまだベッドに腰掛けている。
夫は何も言わず隣に座る。
「この家は、俺の城だ」
低く、静かな宣言。
「そして、お前の居場所だ」
妻は小さく頷く。
「……ありがとう」
夫は抱き寄せる。
「過去は終わらせる」
その腕は強く、揺るがない。
寝室の外では、昼の光が変わらず差し込んでいた。
だがこの部屋だけは、静かな決意に包まれていた。




