突然の知らせ③
翌日 ――報告
朝の光が最上階のリビングを満たしていた。
夫は書斎でコーヒーを口にしながら、静かにスマートフォンを耳に当てている。
「……言え」
低い声。
受話口の向こうで相馬の落ち着いた声が続く。
『対象者、独り身です。離婚後、再婚歴なし。日雇い労働で生計を立てていた模様』
夫の表情は変わらない。
『現在は末期の癌。ステージⅣ。入院中。余命は長くないと推測されます』
「接触者は」
『確認できる限り、なし。親族の訪問履歴もありません』
わずかな沈黙。
『……孤独です』
夫は短く息を吐いた。
「分かった。」
通話が切れる。
静寂。
夫はしばらく窓の外を見つめ、佐川を呼んだ。
⸻
数分後。
佐川が静かに入室する。
「旦那様」
「座れ」
立ったままではなく、向かいの椅子を指す。
それだけで、報告が重いものだと分かる。
佐川はゆっくり腰を下ろした。
夫は感情を交えずに告げる。
「独り身だ。再婚はしていない」
佐川の指先がわずかに強張る。
「日雇いで生きてきた。今は末期癌で入院中。長くはない」
息が止まる。
「……そう、ですか」
「誰も見舞いに来ていない。接触履歴もない」
沈黙が落ちる。
窓の外では車の音が遠くに流れている。
佐川は視線を落としたまま、小さく呟く。
「……独り、ですか」
「そうだ」
夫の声は冷静だ。
「会いたいのなら会いに行けばいい」
佐川が顔を上げる。
「会わないなら、それでもいい」
「……」
「お前の気の済むようにしろ」
命令ではない。
許可でもない。
選択の委譲。
佐川は長く息を吸った。
「……お許しいただけるなら」
夫は黙って見ている。
「最後に、会いに行きたいと思います」
その声は震えていない。
「恨みが消えるとは思いません。ただ……自分の中で、終わらせたいのです」
数秒の沈黙。
「分かった」
即答だった。
「相馬を同行させる」
佐川は深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「一人では行かせない」
その言葉に、保護と監視の両方が含まれている。
その瞬間だった。
――廊下の向こうに、わずかな気配。
夫の視線が扉へ向く。
無言で立ち上がり、ドアを開ける。
そこには――
床にうずくまる妻の姿。
両腕で身体を抱きしめ、呼吸が乱れている。
「……っ」
夫の目がわずかに揺れる。
「どうした」
妻は顔を上げる。
瞳が恐怖で濡れている。
「……生きてるの……?」
声が掠れている。
佐川の元夫。
その名を聞いただけで、過去が蘇ったのだ。
あの日。
二人きりの空間。
そして伸びてくる手......。
――恐怖は消えていない。
「また……来るんじゃないかって……」
震える声。
夫はすぐに膝をつき、妻を抱き寄せる。
「来ない」
低く、断言。
「俺がいる」
妻は胸元を掴む。
「怖い……」
夫の腕がしっかりと背中を包む。
「大丈夫だ」
声は柔らかい。
「俺が側にいる」
「……」
「誰にも触れさせない」
その言葉には、冷たい決意がある。
佐川はその場に立ち尽くしていた。
胸が締め付けられる。
自分の過去が、この家の傷を刺激している。
「奥様……」
小さく声をかける。
妻は震えながらも、佐川を見る。
そこに責める色はない。
ただ恐怖。
夫が妻の髪を撫でる。
「北海道には相馬が同行する」
妻がわずかに反応する。
「接触は管理下だ。俺の許可なしに近づくことはない」
「……ほんと?」
「ああ」
視線は揺らがない。
「俺が守る」
妻はゆっくりと夫の胸に顔を埋める。
呼吸が少しずつ落ち着いていく。
夫は佐川を見る。
その目は冷たいが、責めてはいない。
「行くなら、きちんと終わらせてこい」
佐川は深く頭を下げる。
「はい」
「この家に、影を持ち込むな」
「……承知いたしました」
夫は再び妻を抱き締める。
「怖いことは何もない」
低い声が静かに響く。
最上階の廊下は静まり返っている。
守る者。
終わらせる者。
それぞれの過去が、今、同じ空間で交差していた。




