ママがえがおなら
八月まで、あと三ヶ月。
夜のリビング。
ソファに夫、隣に妻。
床に座って積み木を並べている結。
テーブルの上には、ウェディングドレスのカタログが何冊も広がっている。
夫が真剣な顔でページをめくる。
「……これもいいな」
レースが繊細な、ロングトレーンのドレス。
妻が横から覗き込む。
「ずいぶん豪華ですね」
「せっかくだ」
「小さな式でしょう?」
「小さくても、妥協はしない」
結が顔を上げる。
「パパ、なんでそんなにむずかしいかおしてるの?」
夫は真顔のまま言う。
「ママのドレスを選んでいる」
「ママがきるのに、なんでパパがなやんでるの?」
痛いところを突かれ、夫が一瞬黙る。
妻がくすっと笑う。
「本当ね。私が着るのに」
夫は咳払いをする。
「俺が着せたいんだ」
「……着せたい?」
「最高の一着を」
妻はため息をつく。
「あなた、まさか」
「購入する」
きっぱり。
妻が固まる。
「え?」
「レンタルじゃなく、買う」
「ちょっと待ってください」
妻は思わず身を乗り出す。
「買うって……ドレスをですか?」
「そうだ」
「一度きりですよ?」
「だから何だ」
妻は額を押さえる。
「レンタルで充分でしょう。もったいないわ」
夫は首を横に振る。
「もったいなくない」
「高いのよ?」
「問題ない」
即答。
結がぽつりと言う。
「ママ、パパおこってる?」
「怒ってない」
夫は真顔のまま。
妻はやや呆れ気味に笑う。
「あなたは極端です」
「記念だぞ?」
「記念だからこそ、形に残す必要はないでしょう」
「残したい」
夫の声は静かだが揺らがない。
「俺は残したい」
妻が少し黙る。
「クローゼットにしまっておくのですか?」
「将来、結に見せる」
結がぴょこんと顔を上げる。
「ゆい、きる!」
夫が即答する。
「そうだ」
妻が思わず吹き出す。
「まだ三歳よ」
「その時まで取っておく」
「何十年先の話をしてるのよ」
夫は真面目だ。
「構わん」
妻はカタログを閉じる。
「私はレンタルでいいと思います」
「なぜだ」
「十分素敵なものがあるし、一度きりなら合理的よ」
「合理性の問題じゃない」
二人の間に、静かな火花。
結が積み木をぽん、と置く。
「どっちでもいいんじゃない?」
二人が同時に結を見る。
「……どっちでも?」
「うん」
結は真剣な顔。
「ママににあうドレスなら、どっちでもいい」
沈黙。
妻がゆっくり瞬きをする。
夫も言葉を失う。
結は続ける。
「ママがえがおなら、ゆいはうれしい」
その一言で、空気がふっと緩む。
妻が結を抱き寄せる。
「あなた、いつの間にそんなことを」
夫は小さく息を吐く。
「……確かにな」
妻が夫を見る。
「大事なのは、似合うかどうかよね」
夫は少しだけ照れたように視線を逸らす。
「似合うに決まっている」
「まだ着てないですよ」
「想像で分かる」
妻が笑う。
「自信家」
夫はカタログをまとめる。
「購入かレンタルかは、試着してから決める」
妻が頷く。
「そうね。実際に見てから考えましょう」
結が手を挙げる。
「ゆいもいく!」
「もちろんだ」
夫は妻を見る。
「今度の休み、見に行くぞ」
妻は少し緊張したように、でも嬉しそうに微笑む。
「……はい」
三ヶ月後の八月。
まだ形のない未来に向けて、
家族三人の時間が静かに動き出していた。
テーブルの上のカタログの白が、
どこかまぶしく見えた。




