妻の回想⑩
そして、現在。
キッチンに立ち、ハンバーグを焼く。
ジュウ、と肉が焼ける音。
立ち上る香りに、結がリビングから顔を出す。
「ママ、もうできる?」
「もう少しよ。」
フライパンの中で、ふっくらと膨らむハンバーグ。
昔は得意ではなかった料理。
それでも今は、自然と手が動く。
――悪くない。
あの頃、彼がそう言ってくれた言葉が、今も胸の奥に残っている。
ソースをかけ、皿に盛り付ける。
湯気の立つハンバーグをテーブルに並べる。
ちょうどそのとき、玄関の開く音。
「パパ!」
結が駆けていく。
「おかえりなさい。」
私も、少し遅れて玄関へ向かう。
彼はネクタイを緩めながら、娘の頭を軽く撫でる。
「ただいま。」
視線が私に向く。
一瞬だけ、柔らぐ目。
「今日はハンバーグか。」
「はい。」
三人でテーブルにつく。
結は待ちきれずに言う。
「ママのハンバーグ、世界一なんだよ!」
彼はフォークを手に取り、一口食べる。
その表情を、私は無意識に見つめていた。
昔と同じ、ほんの一瞬の沈黙。
そして。
「……悪くない。」
結がきょとんとする。
彼は続けた。
「いや、とても美味い。」
その言葉に、胸が熱くなる。
何年経っても。
どれだけ時間が流れても。
彼からのその一言は、私をあの頃に戻す。
使用人だった私。
必死に料理を作っていた私。
気づけば、口からこぼれていた。
「……ありがとう。良かった」
彼は小さく頷く。
「当然だ。」
命令口調の名残を残しながらも、
その目は優しい。
結が笑う。
「パパとママ、仲良しだね!」
私は思わず笑ってしまう。
窓の外には、夜景が広がっている。
この最上階で。
私は使用人ではなく、妻で、母だ。
ハンバーグの湯気の向こうで、
彼が静かに私を見る。
あのとき、あの夜、
「結婚してくれ」と言った彼。
私は、ここにいる。
守られ、守りながら。
穏やかな食卓の中で、
確かな幸せを感じていた。




