妻の回想④
このマンションにも驚いた。
けれど、それ以上に。
――私を、恋愛対象として見ていた。
その事実のほうが、衝撃だった。
6歳年下。
まだ若い。
これからいくらでも出会いがある。
未来は明るく、可能性に満ちている。
それなのに。
どうして私なのだろう。
地味で、堅実で、
取り立てて華やかさもない。
黒縁メガネの、真面目なだけの女。
私は冷静に考えた。
もし付き合ったとしても――
いずれ彼は、もっと若くて、もっと魅力的な女性に出会うだろう。
そして私は、置いていかれる。
捨てられる未来しか、想像できなかった。
だから、答えはひとつだった。
「……ごめんなさい。」
静かに、でもはっきりと。
「お付き合いは、できない。」
彼の目が、ほんの少しだけ揺れた。
けれど私は続けた。
「でも、あなたの活躍はこれからも応援してる。何かあったら連絡してね。」
できるだけ柔らかく、笑顔で。
それが精一杯の誠意だった。
彼は黙って私を見つめていた。
あの、冷静で、知的な目。
その奥に、初めて感情の波を見た気がした。
「……どうしても、自分ではだめですか。」
静かな声だった。
懇願でもなく、怒りでもなく。
ただ、真っ直ぐな問い。
胸が、少しだけ痛んだ。
それでも。
「あなたは、誰かを対等に愛せる人じゃない」
私は、断った。本心ではない言葉。突き放すために咄嗟に出した言葉だった。
彼はそれ以上何も言わなかった。
帰りのエレベーターの中、
ガラスに映る自分の顔は、思ったよりも冷静だった。
これでよかった。
私は自分に言い聞かせた。
彼は前へ進む。
私は私の人生を生きる。
もう、彼と会うことはないだろう。
そう思っていた。
けれど――
約半年後。
思わぬ形で、再会することになる。
後輩と先輩ではなく。
対等な立場でもなく。
まさか。
雇い主と使用人という関係になるとは。
あの夜の私は、
まだ予想だにしていなかった。




