結のお手伝い①
休日の朝。
タワーマンションのリビングには、いつもより少し静かな空気が流れていた。
「……申し訳ございません。本日は問題なく働けますので」
マスク越しでも分かるかすれた声で、メイドの佐川が頭を下げる。
妻は静かに首を横に振った。
「駄目よ。声がそんなに掠れているのに“問題ない”なんて言わせないわ」
「ですが――」
「佐川」
その一言は、柔らかいが有無を言わせない響きを持っていた。
「あなたの体調が一番大事。完治するまで休みなさい。命令よ」
佐川は唇を噛み、わずかに目を伏せる。
「……かしこまりました」
その様子を、少し離れた場所で結が心配そうに見ていた。
「さがわ、だいじょうぶ?」
小さな声に、佐川はしゃがんで目線を合わせる。
「お嬢様、少し休めばすぐ治ります」
結はぎゅっと両手を握る。
「ゆい、おてつだいがんばるからね。さがわがゆいのこと、しんぱいしなくていいように!」
その言葉に、佐川の目がわずかに潤む。
「……ありがとうございます」
佐川が自室へ戻っていくと、結はくるりと妻の方を向いた。
「ママ、ゆい、なにしたらいい?」
「え?」
突然の申し出に、妻は少し困ったように微笑む。
「そうね……今日は」
するとソファで新聞を読んでいた夫が、ゆっくり顔を上げた。
「夕飯の買い物、まだだったな」
妻が振り向く。
「そうだったわね」
夫は結を見る。
「結、パパと一緒に行くか?」
ぱっと顔が明るくなる。
「いく!!」
妻は少し考え、キッチンへ向かう。
「今日はすき焼きにしましょう。お肉、白菜、ネギ、豆腐……」
メモを書きながら、結に渡す。
「落とさないようにね」
結は両手で大事そうに受け取る。
「まかせて!」
――――――――――
玄関。
夫はスニーカーを履きながら言う。
「今日は車じゃなくて歩くか」
「えー?くるまじゃないの?」
「近いしな。散歩がてらだ」
結は少し考え、にっこり。
「じゃあ、てつなぐ!」
夫は無言で手を差し出す。
小さな手が、しっかりと握った。
――――――――――
スーパー到着。
「まずは肉だな」
「おにく!」
精肉コーナーの前で、二人は立ち尽くす。
「……どれだ?」
結がメモを見る。
「“ぎゅうにく すきやきよう”ってかいてあるよ」
「……多すぎるな」
高級和牛、特売品、薄切り、霜降り。
夫は腕を組む。
「パパ、これ“とくばい”ってかいてある」
「……今日はそれでいいか」
カゴに入れる。
次は白菜。
「でかいな」
「はくさい、おもい!」
「半分でいいか?」
「メモは“はくさい”だけだよ?」
「……一玉いくか」
抱える。
ネギ売り場で迷う。
「ねぎって、これ?」
「それは万能ねぎだな」
「ばんのう?」
「……万能だ」
結は意味が分からないまま頷く。
豆腐コーナー。
「絹?木綿?」
「きぬってつるつる?」
「そうだな」
「じゃあつるつる!」
夫は苦笑しながら絹をカゴへ。
なんとかメモ通り揃え終わる。
「できたー!」
結が達成感いっぱいの顔で見上げる。
だがその視線は、何かを訴えている。
夫は察する。
「……一個だぞ」
「!」
お菓子売り場へ向かう。
結は棚を真剣な顔で見つめる。
「ひとつだけ……」
「迷うなよ」
「むずかしい……」
数秒の沈黙。
「これ!」
チョコレート菓子を抱える。
「決まりだな」
――――――――――
買い物を終え、袋を持つ夫。
もう片方の手を差し出す。
結は自然に握る。
「おてつだい、たのしいね」
空は青く、雲がゆっくり流れている。
夫は横目で結を見る。
「そうか」
「うん!またいく!」
少しだけ口元が緩む。
「……またな」
二人の影が並んで、ゆっくりとタワーマンションへと伸びていった。




