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雨のち晴れ  作者: ありり
145/311

妻にウェディングドレスを③

仕事の合間。


重厚なデスクの上に並ぶ資料。

ノートパソコンには、式場の予約状況一覧。


「……全滅か」


人気の会場は、八月はほぼ埋まっている。


“仮予約待ち”

“キャンセル待ち”


佐川が遠慮がちに言う。


「旦那様、日程をずらされては?」


「ずらさない」


即答。


「八月だ」


理由は言わない。

だが決めている。


三ヶ月後。

妻が覚悟を決めた八月。


(あいつが準備する時間も含めて、意味がある)


昼休み。

移動中の車内。

夜の書斎。


夫は片っ端から連絡を入れる。


「空いている時間帯は?」

「午前中は?」

「平日でもいい」


妥協はしない。


安い式場でもいい?

近場でいい?


違う。


(どうせやるなら、最高だ)


ようやく見つけたのは、

都内の高級ホテルに併設されたチャペル。


天井が高く、

自然光が入る白い空間。

小規模でも品格がある。


「ここだな」


担当者が言う。


「八月中旬、午後の枠が一つだけ空いております」


夫は迷わない。


「押さえろ」


数日後。


リビング。


妻が紅茶を淹れている。


「少し話がある」


夫は資料をテーブルに置く。


「会場を決めた」


妻が目を丸くする。


「もう?」


資料を開いた瞬間、妻の表情が固まる。


「……ここ?」


「ここだ」


「あなた……」


少し困った笑み。


「そこまでしなくてもいいのに」


夫は眉をひそめる。


「なぜだ」


「小さな式でいいって言ったでしょう?」


「小さいが、質は落とさない」


妻はゆっくり資料を撫でる。


「きれいね」


「だろう」


「でも、きっと高いわよ?」


「問題ない」


即答。


「俺は後悔したくない」


静かな声。


「やるなら最高にしたい」


妻が夫を見る。


その目は、少しだけ潤んでいる。


「……そんなに」


「八年だぞ」


夫は続ける。


「八年、式も挙げずにここまで来た」


「それは私も納得していたわ」


「俺が納得していない」


きっぱり。


「ちゃんと花嫁にしたい」


妻は小さく笑う。


「もう花嫁じゃないわ」


「俺の中では今もだ」


沈黙。


結が横から顔を出す。


「ホテルー?」


妻が結を抱き寄せる。


「そうみたいよ」


夫は妻から目を逸らさない。


「金の問題じゃない」


低く、真剣に。


「お前に、一番いい場所で立ってほしい」


妻の喉が小さく動く。


「……あなた」


少し間を置き、ぽつりと言う。


「結婚して八年」


夫は黙って聞く。


「変わらず愛してくれて、ありがとう」


空気が静まる。


その言葉は、不意打ちだった。


夫の胸がぎゅっと締まる。


「……何を言う」


照れ隠しのように目を逸らす。


妻は続ける。


「若い頃より綺麗でもないし、体型だって変わったのに」


「誰が決めた」


夫が即座に言う。


「俺はそう思っていない」


妻が少し笑う。


「あなたは昔からそう」


「昔から変わらん」


「うん」


妻の目が柔らかくなる。


「それが嬉しいの」


夫は何も言えない。


ただ、真っ直ぐ妻を見る。


(八年か)


早かったのか、

長かったのか。


だが確実に言える。


(今が一番だ)


若い頃のときめきとは違う。


今は、深い。


静かで、

確信に満ちた愛情。


夫は低く言う。


「八月、最高にする」


妻がうなずく。


「……はい」


「後悔はさせない」


妻が微笑む。


「もう十分、幸せよ」


夫は小さく息を吐く。


(足りない)


まだ足りない。


八月、

あの場所で、

白いドレスで隣に立つ姿を見るまでは。


そして心の中で、静かに誓う。


(もう一度、惚れ直させる)


八年目の花嫁に。

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