妻にウェディングドレスを③
仕事の合間。
重厚なデスクの上に並ぶ資料。
ノートパソコンには、式場の予約状況一覧。
「……全滅か」
人気の会場は、八月はほぼ埋まっている。
“仮予約待ち”
“キャンセル待ち”
佐川が遠慮がちに言う。
「旦那様、日程をずらされては?」
「ずらさない」
即答。
「八月だ」
理由は言わない。
だが決めている。
三ヶ月後。
妻が覚悟を決めた八月。
(あいつが準備する時間も含めて、意味がある)
昼休み。
移動中の車内。
夜の書斎。
夫は片っ端から連絡を入れる。
「空いている時間帯は?」
「午前中は?」
「平日でもいい」
妥協はしない。
安い式場でもいい?
近場でいい?
違う。
(どうせやるなら、最高だ)
ようやく見つけたのは、
都内の高級ホテルに併設されたチャペル。
天井が高く、
自然光が入る白い空間。
小規模でも品格がある。
「ここだな」
担当者が言う。
「八月中旬、午後の枠が一つだけ空いております」
夫は迷わない。
「押さえろ」
数日後。
リビング。
妻が紅茶を淹れている。
「少し話がある」
夫は資料をテーブルに置く。
「会場を決めた」
妻が目を丸くする。
「もう?」
資料を開いた瞬間、妻の表情が固まる。
「……ここ?」
「ここだ」
「あなた……」
少し困った笑み。
「そこまでしなくてもいいのに」
夫は眉をひそめる。
「なぜだ」
「小さな式でいいって言ったでしょう?」
「小さいが、質は落とさない」
妻はゆっくり資料を撫でる。
「きれいね」
「だろう」
「でも、きっと高いわよ?」
「問題ない」
即答。
「俺は後悔したくない」
静かな声。
「やるなら最高にしたい」
妻が夫を見る。
その目は、少しだけ潤んでいる。
「……そんなに」
「八年だぞ」
夫は続ける。
「八年、式も挙げずにここまで来た」
「それは私も納得していたわ」
「俺が納得していない」
きっぱり。
「ちゃんと花嫁にしたい」
妻は小さく笑う。
「もう花嫁じゃないわ」
「俺の中では今もだ」
沈黙。
結が横から顔を出す。
「ホテルー?」
妻が結を抱き寄せる。
「そうみたいよ」
夫は妻から目を逸らさない。
「金の問題じゃない」
低く、真剣に。
「お前に、一番いい場所で立ってほしい」
妻の喉が小さく動く。
「……あなた」
少し間を置き、ぽつりと言う。
「結婚して八年」
夫は黙って聞く。
「変わらず愛してくれて、ありがとう」
空気が静まる。
その言葉は、不意打ちだった。
夫の胸がぎゅっと締まる。
「……何を言う」
照れ隠しのように目を逸らす。
妻は続ける。
「若い頃より綺麗でもないし、体型だって変わったのに」
「誰が決めた」
夫が即座に言う。
「俺はそう思っていない」
妻が少し笑う。
「あなたは昔からそう」
「昔から変わらん」
「うん」
妻の目が柔らかくなる。
「それが嬉しいの」
夫は何も言えない。
ただ、真っ直ぐ妻を見る。
(八年か)
早かったのか、
長かったのか。
だが確実に言える。
(今が一番だ)
若い頃のときめきとは違う。
今は、深い。
静かで、
確信に満ちた愛情。
夫は低く言う。
「八月、最高にする」
妻がうなずく。
「……はい」
「後悔はさせない」
妻が微笑む。
「もう十分、幸せよ」
夫は小さく息を吐く。
(足りない)
まだ足りない。
八月、
あの場所で、
白いドレスで隣に立つ姿を見るまでは。
そして心の中で、静かに誓う。
(もう一度、惚れ直させる)
八年目の花嫁に。




