愛と所有の境界線⑦
夜は、静かに深まっていった。
窓の外には月明かりの海。
室内には、重なり合う呼吸。
言葉よりも確かな温もりで、二人は互いの存在を確かめ合った。
夫の手が、妻の髪を撫でる。
「……愛している」
低く、迷いのない声。
妻はその胸に頬を寄せたまま、そっと答える。
「はい。私も、愛しています」
強く抱きしめる腕。
独占ではなく、誓いのように。
その夜、二人は同じ鼓動の中で眠りについた。
翌朝。
カーテン越しに柔らかな光が差し込む。
海は穏やかで、昨夜とは違う表情を見せていた。
妻が目を覚ますと、隣で夫が静かに窓の外を見ている。
「……おはようございます」
「起きたか」
妻は微笑む。
「よく眠れました」
「そうか」
少しの沈黙。
だが、気まずさはない。
満たされた静けさ。
朝食会場。
海を望むテラス席で、二人は並んで座る。
「クロワッサン、温かい……」
「ゆっくり食べろ」
「今日は急ぐ予定はないんですよね?」
「ああ」
コーヒーを口に運びながら、夫が言う。
「帰る前に、水族館にでも行くか」
妻の目がぱっと輝く。
「水族館?」
「この近くにある」
「行きたいわ」
素直な反応。
夫は小さくうなずく。
「じゃあ、決まりだ」
「ありがとうございます。……まるで本当にデートね」
「昨日も言っただろう。デートだ」
妻は嬉しそうに笑う。
水族館。
大きな水槽の前で、二人は並んで立つ。
青い光に包まれ、魚たちがゆったりと泳いでいる。
妻が小さく息をのむ。
「綺麗……」
ジンベエザメが悠然と横切る。
クラゲがふわりと浮かぶ。
夫は妻の肩に自然と腕を回した。
拒まない。
むしろ、妻は少しだけ身を預ける。
「結がいたら、はしゃぎますね」
「ああ。次は三人で来るか」
「はい。でも……」
妻が少しだけ見上げる。
「こういう時間も、大切ね」
夫はゆっくりとうなずく。
「二人だけの時間も、作ろう」
言葉にする。
「結が大きくなっても」
「……はい」
「月に一度でもいい」
「嬉しい」
水槽の光が、二人の横顔を照らす。
穏やかで、静かな約束。
帰り道。
売店で足を止める。
「これ、結が好きそう」
妻が手に取ったのは、ふわふわのペンギンのぬいぐるみ。
夫が値札を見る。
「それにしろ」
「あと、お菓子も少し」
「佐川にも何か買っていくか」
妻が微笑む。
「ええ」
二人で選ぶお茶菓子。
自然な連帯感。
夕方。
自宅の玄関が開く。
「ただいま」
「おかえりなさーい!」
結が全力で走ってくる。
そのまま、夫と妻に同時に飛び込む。
「パパ!ママ!」
夫はしゃがみ込み、受け止める。
妻も抱きしめる。
「いい子にしてたか」
「うん!さがわといっぱいあそんだ!」
後ろで佐川が一礼する。
「大変お利口でございました」
妻が笑顔で言う。
「ありがとう、佐川」
「いえ」
結がふと気づく。
「それ、なに?」
「お土産よ」
ペンギンを差し出すと、結の目がきらきらと輝く。
「かわいいー!」
「あとね、お菓子も」
「やったー!」
夫はその光景を見つめる。
穏やかな家。
笑顔の妻。
無邪気な娘。
そして、それを支える佐川。
「楽しかった?」
結が尋ねる。
妻は一瞬夫を見る。
そして微笑む。
「うん。とっても」
夫も短く答える。
「ああ」
結が満足そうにうなずく。
「つぎは、ゆいもいく!」
「もちろんだ」
笑い声が広がる。
その中心で、夫は静かに思う。
守るだけではない。
選ばれ、選び続ける。
この形で。
この家で。
穏やかな夜が、また静かに始まろうとしていた。




