俺の隣は、お前だけ①
平日の午後。
青空の下、結はママの手をぎゅっと握っていた。
「ママ、今日はなににするのー?」
「うーん……今日はカレーライスにしようかな」
「やったぁぁぁ!」
結はぴょんと跳ねる。「結、じゃがいも洗うの手伝う!」
妻はくすっと笑った。
「ありがとう。でも今日はママがやるから、結は応援団ね」
スーパーの中。
ラフなニットにジーンズ、控えめなショルダーバッグ。
買い物カゴには人参、玉ねぎ、じゃがいも、牛肉、ルウ。
「ママ、お菓子……」
「ひとつだけね」
「ほんと!? じゃあこれ!」
結は小さなクッキーを選ぶ。
「約束守れる?」
「うんっ!」
レジを済ませ、袋いっぱいの食材をエコバッグに詰める。
「カレーたのしみだねぇ」
結はにこにこ。
「ふふ、たくさん食べてね」
その帰り道。
「あ、結ちゃーん!」
同じ幼稚園の女の子と、その母親。
結は嬉しそうに手を振る。
「みおちゃん!」
妻は軽く会釈する。
母親は一瞬、妻を上から下まで見た。
「お買い物帰りですか?」
「ええ、夕飯の材料を」
「へぇ。落ち着いてますよね。……お手伝いさん、ですか?」
一瞬、空気が止まる。
結はきょとん。
妻は穏やかな表情のまま。
「いいえ、母です」
「え? あら、そうなんですか。てっきり……」
少し笑って、
「なんだか上品で落ち着いていらっしゃるから。……結ちゃんのお母さんにしては」
微妙な沈黙。
「若いママさんも多いですものね。うちはまだ二十代なので」
ぎりぎりの、年齢を匂わせる言い方。
結は小さく眉を寄せた。
妻はただ柔らかく微笑む。
「そうなんですね。素敵ですね」
それだけ言って、
「結、帰ろうか」
手を握り直す。
「うん」
歩き出してから、結が小さな声で聞いた。
「ママ……さみしかった?」
妻は少しだけ空を見上げる。
「ううん」
「ほんと?」
「ママにはね、結とパパがいるから」
優しく頭を撫でる。
「それだけで十分なの」
結はしばらく考えて、
「……そっか」
小さく笑った。
その夜。
カレーはとても美味しかった。
夫も「うまい」と何度も言い、結はおかわりをした。
寝る前。
妻がお風呂に入っている間。
結はそっと夫の書斎へ。
「パパ……」
「ん? どうした?」
小さな声。
「ね、きょうね……ママね……」
夫はすぐに椅子を回し、真剣な顔になる。
「何かあったのか?」
結は昼間の出来事を全部話した。
同級生の母親にお手伝いさんだと間違われたこと。
年齢のことを言われたこと。
ママが笑ってたけど、少しだけ静かだったこと。
「ママ、さみしくないって言ってたけど……」
結は俯く。
「ほんとかなって」
夫の目が、静かに変わる。
「……そうか」
低く、抑えた声。
「結はどう思った?」
「ちょっと、やだった」
「そうか」
夫は結を膝に乗せる。
「ママはね、強い人だ」
「うん」
「でも強い人も、たまには守ってあげなきゃいけない」
結はこくんと頷く。
「パパ、守る?」
夫は微笑む。
「もちろん」
少し目を細めて、
「でもな、ママには内緒だぞ?」
「うん!」
「ママは気にしてないって言ったんだろ?」
「うん」
「じゃあ、俺たちはいつも通りでいい」
結は安心したように笑う。
「パパ、ママのこと、すき?」
夫は即答した。
「世界で一番な」
「年とっても?」
「何十年経っても」
「おばあちゃんになっても?」
「俺の隣にいる限り、世界一だ」
結は満足そうに頷いた。
「じゃあ、だいじょうぶだね」
夫は小さな背中を抱きしめる。
「だいじょうぶだ」
風呂場から水の音。
夫は静かに目を閉じる。
(……誰が何を言おうと)
(あいつは俺の妻だ)
(俺が選んだ、唯一の人だ)
結を下ろし、
「さあ、寝ようか」
「うん!」
廊下を歩く小さな背中を見ながら、夫は静かに誓う。
——守る。
誰よりも。
妻には内緒で。
その夜、夫はいつもより少しだけ優しく妻の肩を抱いた。
妻は何も知らず、ただ穏やかに微笑んだ。




