ミステリーツアー⑧
三日目の朝。
名残惜しいほど澄んだ空気の中、三人は宿を後にした。
車に乗り込む前、妻が振り返る。
「……楽しかったね」
結が元気よく言う。
「おほしさまも! ぼくじょうも! ごはんも!」
「全部だな」
夫がトランクを閉める。
「忘れ物はないな」
「思い出はいっぱい持ったよ!」
結の言葉に、妻が微笑む。
帰り道。
車内は行きよりもどこか穏やかだった。
結は途中でうとうとし、牧場で買った小さなぬいぐるみを抱えて眠る。
妻がそっとその頬にかかった髪をよける。
「……最高でした」
バックミラー越しに目が合う。
「そうか」
「本当に、最高の誕生日と母の日」
少し間を置いて、妻が静かに言う。
「ありがとう、あなた」
「礼はいい」
「言わせて」
「……」
「星空も、牧場も、あのブレスレットも。全部、あなたが考えてくれたんでしょう?」
「結も協力者だ」
「そうね」
妻が前の座席の背もたれに手を置く。
「結も、ありがとう」
後部座席から、半分眠った声。
「んー……どういたしまして……」
夫が小さく笑う。
「起きているのか寝ているのか」
妻が続ける。
「こんなに満たされた誕生日、初めてかもしれない」
「大げさだ」
「大げさじゃない」
「……」
「あなたと結がいることが、一番のプレゼントです」
しばらく沈黙。
そして、夫が低く言う。
「こちらこそ、ありがとう」
妻が驚く。
「え?」
「お前がいるから、計画する意味がある」
結がむくっと起きる。
「わたしも!」
「お前もだ」
「こちらこそありがとう!」
車内に、柔らかな笑いが広がる。
やがて、見慣れた街並み。
タワマンのゲートが見える。
「帰ってきたな」
「なんだか、ちょっとさみしい」
「また行けばいい」
「うん」
地下駐車場に車を停める。
エレベーターを上がり、玄関前。
ドアが開く。
そこには、佐川。
深く一礼する。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
「おかえりなさい!」
結が駆け寄る。
「さがわ!」
「お嬢様、お元気そうで何よりです」
「すっごくたのしかった!」
「それは何よりでございます」
夫が淡々と言う。
「留守中、問題はなかったか」
「滞りなく」
妻が柔らかく微笑む。
「ありがとう、佐川」
「とんでもございません」
その時。
「はい!」
結が小さな袋を差し出す。
「おみやげ!」
佐川が目を丸くする。
「私に、でございますか?」
「うん! わたしがえらんだの!」
袋の中から出てきたのは、
小さなポニーのキーホルダーと、瓶入りのりんごジャム。
「ポニーはね、わたしがのったから! りんごはね、ながのだから!」
佐川の指がわずかに震える。
「……ありがとうございます」
「つけてね!」
「はい……大切にいたします」
ふいに、佐川の目に涙が浮かぶ。
一筋、頬を伝う。
妻が気づく。
「佐川……?」
「……申し訳ございません。少し、嬉しくて」
結が首をかしげる。
「うれしいと、なみだでるの?」
「はい……とても」
夫は静かにその様子を見ている。
佐川は深く頭を下げる。
「このようなお心遣い……身に余る光栄でございます」
結が満足そうに言う。
「ミステリーツアーだったの!」
「そうでございましたか」
妻が笑う。
「本当に楽しかったのよ」
佐川は目元を拭いながら微笑む。
「奥様のお誕生日と母の日が、素晴らしいものになったご様子で……何よりでございます」
夫が短く言う。
「成功だな」
妻が夫を見る。
「大成功よ」
結が両手を上げる。
「またいこうね!」
「次はママ主催だ」
「ママのミステリー!」
「ええ、覚悟しててね」
玄関に広がる、温かな空気。
星空。
牧場。
美味しい食事。
流れ星。
ポニーの背中の揺れ。
ブレスレットの輝き。
すべてが、心に刻まれている。
佐川が改めて一礼する。
「お帰りなさいませ。ご家族様」
夫は静かに靴を脱ぎながら言う。
「ただいま」
楽しかった夫主催のミステリーツアーは、
こうして幕を閉じた。
だが——
思い出は、消えない。
そして次は、
妻主催のミステリーが待っている。




