ミステリーツアー⑥
深い夜。
はしゃぎ疲れた結は、布団に入るとすぐに眠りに落ちた。
「……すぅ……」
規則正しい寝息。
妻がそっと前髪を撫でる。
「楽しかったのね」
夫は小さく頷く。
「初めての星空だからな」
部屋の灯りを落とし、二人は静かにテラスへ出る。
昼間とはまるで違う空気。
ひんやりと澄んだ高原の夜。
頭上には、変わらず満天の星。
しばらく並んで、無言で見上げる。
ふと——
一筋の光が、夜空を横切った。
「……!」
妻が息をのむ。
「今、流れた……」
「見えたか」
「うん……」
少し遅れて、また一つ。
細く、儚く、消える光。
妻が小さく笑う。
「贅沢ですね」
「そうだな」
「こんなにたくさん星を見たの、本当に久しぶり」
夫は横目で妻を見る。
昼間よりも柔らかい表情。
ブレスレットが星明かりを受けて微かに光っている。
「……ありがとう」
妻がぽつりと言う。
「何度も言うな」
「言いたいの」
「そうか」
「嬉しいです」
夫は少し間を置いてから尋ねる。
「星に、何か思い出があるのか」
妻は夜空から目を離さずに答える。
「あるわ」
「どんな」
「独身の頃、よく一人旅してたの」
夫がわずかに眉を動かす。
「一人旅?」
「知らなかったでしょう?」
「初耳だ」
妻がくすっと笑う。
「言ってなかったもの」
「どこへ行っていた」
「いろいろ。温泉地とか、古い町並みとか。電車に揺られて、気の向くままに」
夫は静かに聞く。
「意外だな」
「そう?」
「一人で行動するタイプには見えない」
「若い頃は、わりと自由だったんですよ」
風がやわらかく吹く。
遠くで虫の声。
「その旅でね」
妻が続ける。
「一番印象に残ってるのが、星空だったの」
「ここか」
「うん……長野。山の小さな宿に泊まって」
夫は静かに息を吸う。
「その時も、こんな夜だったのか」
「そう。真っ暗で、静かで……空が怖いくらい広くて」
「怖い?」
「うん。自分がすごく小さく感じて。でも、不思議と安心もして」
また一つ、流れ星が走る。
妻がそっと呟く。
「……あ」
「願い事は」
「間に合わないわ」
「そうか」
少しの沈黙。
「その頃はね」
妻が言う。
「結婚も、未来も、何も決まってなかった」
「……」
「ただ、自分がどこに行くのかも分からなくて。でも星を見てると、なんとかなる気がしたの」
夫は静かに聞いている。
「だから、星が好きなの」
「なるほどな」
「まさか、こうして家族と一緒に、同じ空を見る日が来るなんて思ってなかったです」
夫が低く言う。
「後悔しているか」
妻が驚いて夫を見る。
「なにを?」
「一人旅の方がよかった、とか」
妻はふっと笑う。
「まさか」
そして、真剣な目で言う。
「今が一番幸せです」
風が二人の間を通り抜ける。
夫は夜空を見上げる。
「……お前の過去は知らないことが多いな」
「全部話してないもの」
「これから聞く」
「取調べ?」
「情報収集だ」
妻が笑う。
「じゃあ、あなたの過去も教えて」
「必要があれば」
「ずるい」
また一筋、流れ星。
今度は二人ともはっきり見る。
妻がそっと夫の腕に触れる。
「願い事、した?」
「していない」
「どうして?」
「もう叶っている」
妻の目がやわらぐ。
「……なにそれ」
「言葉通りだ」
満天の星。
かつて一人で見上げた空。
今は、隣に夫がいる。
そして部屋の中には、眠る娘。
妻が静かに言う。
「ねぇ」
「なんだ」
「また来たいです」
「来よう」
「毎年とは言わないけど」
「必要なら、毎年でも」
「そんなに?」
「星は逃げない」
妻が微笑む。
「でも、時間は逃げるわ」
夫は少しだけ、優しく言う。
「なら、逃がさない」
夜空に、また光が走る。
二人は並んで、それを見送った。
過去と今と未来が、
静かに重なる夜だった。




